ぼくのルヴナン

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花を食む

大学で仕事を終え、帰宅する。たまたま通りがかっていた乗合馬車を捕まえ、家の近くで降りて運河沿いをゆっくりと歩いていると、白茶けた焦げ茶色の煉瓦の壁に、少し退色したピーコックブルーの屋根のアパルトマンが見えた。ぼくの部屋が入っているアパルトマ...
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嘘と真実

エドゥアール・オーバンはパリ大学に籍を置く地質学教授である。 専門は層序学と言って、地層の成り立ちを追求している分野であるのだが、それを説明しても興味深げに耳を傾けてくれる人はそう多くない。 地質学と言うのは、どうにも人の理解や共感を得がた...
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紅茶色の舌

「ケイ」  静かな声がぼくを呼ぶ。顔を上げると、ソファに座るぼくを見下ろすように吸血鬼が立っていた。 「お茶」「あ、ああ」  本を読みふけるあまり、入れていた紅茶のことを忘れていた。慌てて立ち上がり、キッチンに置いていたポットからカップへ茶...
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愛の涯てにて

自分の人生は、超常現象、オカルト、そういったものとは無縁だと思ってきた。 否、彼――シリルと出会ったいまでも、そう思っている。 人間のぼくと吸血鬼の彼との出会いは、ある種超常的で、オカルトであると言えるだろう。 しかし。 しかし、ぼくと彼に...
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月色の毛先

行為の後、ぼくの荒い息に揺らされて、目の前でふわふわと髪が踊っている。その毛先をひと摘みして、ぼくは胸にくったりと背を預けてくるシリルへと声をかけた。 「シリルきみ、髪が伸びたんじゃないか」「ん……?」  ぼくの胸から肩にかけて体をもたれか...
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或る夜に

ある休日の夜のことである。ぼくたち――ぼくとシリルは、久しぶりにクラブ「プライベート・ブラッド」にいた。 クラブ自体に赴くのは、別に久方ぶりのことではない。増血剤や止血の道具を買いに来ることだってある。だが、そういう時は二階にある応接間のよ...
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きずあとのリング

夢を見ていた。 儚く、脆く、そのくせいやに現実的な夢。 否――夢と言うより、これは過去の焼き直しだ。 「よ……『宵闇にこそ真実が宿る』……」「ありがとうございます。会員証も確認いたしました。……ムッシュ・ドゥブレ、ようこそこのクラブへ」  ...
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「ぼくのルヴナン」

今朝――いや、今日は二限目からだったから、それくらいの、昼と言うには早い、けれども朝と言うにはもうすっかり日の昇った時間に、校門で不思議な人を見た。 門柱によりかかるようにして立った、きれいな顔をした男の子だった。 ふわふわのアッシュブロン...
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今宵のところは、キスをひとつ (R-18)

いい気分のしない色をした錠剤以外に、クラブで買っているものがある。 包帯や軟膏などの止血セットだ。特に軟膏は、どういった調合をしているのか、傷口に塗ると止血はもちろんのこと、傷の治りも早かった。ロジェ曰く、それ専用に作られているらしい。 あ...
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アショア・ド・ヴォーに約束を添えて

ぼくとシリルが共同生活を始めてから、二週間ほどが経ったある日のことである。 その日のぼくは、研究が一段落したのもあって、いつもより少し早く家路に就いていた。 今日は一日、なんだかいい日だった。 天気もよかったし、研究も思うように運んだ。 折...