ループ - 4/4

オマケの話

 —大晦日の運転終えてから元旦始発まで飲み会@田都の部屋

 ◆

 酔ってない、酔ってない、酔ってない。
 多摩川と大井町に言われ、きっぱりと否定したその言葉が、くわんくわんと脳の中で響いていた。

(頭が揺れている……)

 こんなに揺れるなんて一体どんな線形のレールをしているのだ、東横線を舐めるなよ馬鹿にしているのか。そんな文句が漏れるのが既におかしいのだが、悲しいかな、完全に酔いの中にある東横はそれを気付けずにいた。

「東横ー、君、ベッド借りて寝てなよー。始発まであと三時間切ってるよ?」
「正月とは言えオレは旅客鉄道だぞ、今年こそ神奈川私鉄の乗客数をプラスにする為にも……」

 多摩川の声が五月蠅く響いているのに、なぜだろう、ぐてん、と落ちた首が持ち上げられない。そもそもを言えば、去年の年末年始の神奈川県私鉄の乗客数がマイナスになったのだって、東横と言うか東急は悪くない。東急自体はプラスであったのに、よりによって一社足を引っ張った会社があったのだ。

「クソ相鉄め」
「君さぁ、去年の春にキセルされてから相鉄の株下げすぎだよ」

 一応相直するんだから君と目黒、と言う多摩川を制そうと手を振り上げて、否、少なくとも東横は上げたつもりであったのだが。

「うぐぐぐ……」
「あっはっはっはっはっ! 何コレ天下の東横様が超ざまぁないでやんの!」
「多摩川、いい加減にしてやれ」

 上げた腕を何かが掴んでいるのは、シャツ越しに触れる感触から何となく分かる。のろのろと顔を上げずに視線だけを上向かせると、濡れたようなグレーの瞳と視線がかち合った。

「でんえんとしー……?」
「東横、多摩川も言っているが、寝た方がいい。かなり飲んだぞ」
「酔っていないぞー……」

 ぺたりと頬を押し付けたテーブルの冷たさが心地いい。ついでに言えば、片手が触れたままでいるグラスもひんやりとしていて気持ちがよかった。中身はとうに忘れたが。

(焼酎だったか、日本酒だったか……)

 ワインの入ったグラスを持ちながら二択で悩んでいた東横の頭を、ぽんぽんと誰かの手が叩いている。どうせあの失礼な臙脂色だろう。そうやって失礼だから目黒にいい所を取られるのだ。

「あっはっはっは田都の話聞いてない!」
「多摩川、あんま東横虐めるなって。飲ませたのどう考えてもお前だろ」
「だってさぁ、ホンットにチャンポン弱いんだもん東横!」

 頭上で繰り広げられる多摩川、と恐らくは世田谷との会話を聞き流しながら、東横は顔をにわかに持ち上げてグラスを傾け、舌先で葡萄の芳香を味わった所でようやく中身が赤ワインであった事に気が付いた。

「焼酎じゃなかったのか……」
「あ、焼酎がいいの? 注ぐよ?」
「ちょっと、多摩川、いい加減に、しないと……」

 きゃらきゃらと笑う多摩川を諫めているのは池上だろう。声のトーンからして、多摩川は確実に酔っている。さっさとその連れをどうにかしろ、と池上に言う前に喉を潤そうとグラスを持ち上げようとすると、つい先程まであった手応えが指先から消えていた。

「いい加減、飲むのはよせ」
「あー……?」
「田都ぉ、それちょっと寝室放ってきなさいよぉ」
「お休み、東横」

 大井町と目黒の声がどこか遠い。食べていたおせちやら貰い物のハムやらはどこへ行ったのだろう。あとオレのワインだか焼酎だかはどこだ。
 ふわ、と体が浮かんだような心地がして、肩に腕を回されているのに気付いた。視界の隅で未だに杯を傾けている大井町が据わった目で田園都市を見ているのが、何となく、見える。

「抱き上げてやんなさいよ、甲斐性なしねぇ」
「そう言われても、かなり重いぞこれは」
「そう言う所が甲斐性なしなのよぉーだからぁー!」

 捨てられるわよ捨てられなさいよ、と言われている内容がいまいち察せない。何の話だ。どこの粗大ゴミの話だ。

「ひとを粗大ゴミみたいに言うなー……」
「あら、まだ起きてる」

 でもアンタの事じゃないわよ、と言われて首を傾げた。隣から、溜め息を吐く気配がする。

「酔っぱらいは大人しく寝ろ」
「何だと……失礼なやつめ……、路面上がりの癖に」

 砂利でも運んでろ、と言うと、「今更そんな重労働嫌だ」と嘆く世田谷の声が背中よりももっと後ろから聞こえた。
 ふわふわとした足取りで歩かされ、もっとふわふわしたものの上に放り投げられる。だから何で放るのだ、人を誰だと思っているのだこの緑色は。

「もっと丁寧に扱え、この馬鹿」
「……それは、悪かった」

 他の路線達が話している声が遠い。ベッドに横たえられたのだと気付いて、覗き込んできていた首元を引き寄せた。
 触れあう唇が温かい。酔っているからだろうか。

(いや、酔ってない、酔ってないぞ、オレは)

「始発の前に起こすからな」
「んー」
「……聞いていないな?」
「んー」

 何だかもう、ぐにゃぐにゃしたままシーツと溶け合えそうだった。こんなに愉快な心地なのに、どうしてこの馬鹿はこんなにつれないのだろう。
 ああ、でも、髪を撫でる手が冷たくて気持ちがいいから、許してやろう。普段は自分の方が平熱は低かったはずであるのに、どうして今日の田園都市の手はこんなに冷たいのだろうか。酔っていて体温が高くなっているからか。

「酔ってないぞ」
「………分かった、いいからお前は寝ていろ」

 ぐちゃぐちゃと自分の頭と喧嘩を始める東横を見る田園都市の顔は、錯覚だろうか、薄明かりの中で少しだけ笑っている気がした。

(いつもはそんな顔しない癖に)

「でんえんとし」
「何だ」
「今年も東急東横線を宜しくお願い致します」

 取り敢えず新年と言う事で思い浮かんだ言葉を縺れる舌の上に載せると、ひどく嫌みったらしい苦笑と共に、彼は「こちらこそ、東急田園都市線を宜しくお願いする」と言ったのである。

 三時間後の東横が、この際の泥酔ぶりを架線を引きちぎらん勢いで猛省したのは言うまでもない。