ループ - 3/4

おじいちゃんとこども

 端的に、結論から言って、迷子だった。
 きょろきょろと見回す構内の様子は、見た経験はあるものの圧倒的に見慣れていない風景である。自路線内から出る事などほとんどなく、出たとしても直通先の東横の終点である渋谷まで一気に出てしまう事が多いみなとみらいとしては、その途中の駅など、その順番も分からぬくらいなのである、が。

「うええええ……ここ、どこだ……?」

 否、どこであるのかはその表示板を見ていれば分かるし、表示板は東横と違って親切だから、両隣の駅が何なのかもしっかりと書いてある。だが、それにしたって分からないものは分からない。

「田園調布……? え、オレ、何で……?」

 菓子を貰ったから来い、と東横から連絡を貰い、誘われるがままに浮き足立って電車に乗ったのがいけなかった。表示を見る限り、田園調布は東横が待ち合わせに指定した菊名よりもうんと渋谷寄りの駅である。
 つまり、要はみなとみらいは寝過ごしたのであった。

「うわあぁぁ……」

 みなとみらいの横を、乗客達がすり抜けていく。大人しく、乗り過ごしたと東横に連絡をするべきだろうか。だが、それではきっと怒鳴られてしまう。かと言って上手い誤魔化し方も適当な言い訳も思いつかずに時刻表の前で呆然としていると、その小さな肩をぽん、と叩く温かな手があった。

(助かった、救世主!)

 喜色を顔一面に浮かべ、ぱっと顔を上げる。するとそこにいたのは、みなとみらいの事を知っていてその身を案じた駅員などではなく、それに比べればうんとみなとみらいに近しい者であった。

「……目黒!」
「こんにちは、みなとみらい」
「よかったぁー! そか、田調は目黒も通ってるじゃんなっ!」

 安堵から口の端が吊り上るのが自分でもよく分かる。
 目黒は東横よりも年長である。きっと彼ならば、みなとみらいが立たされている窮地も理解し、それとない解決法も導き出してくれるに違いない。
 しかし、ぎゅっとジャケットから覗くカーディガンの裾を掴み、己の状況を説明しようとした、その時であった。

「やぁ、いい所に来てくれたね。助かったよ」

 なぜか目黒は、みなとみらいよりもうんと嬉しそうに笑ったのである。

 ◆

 あれからニコニコ顔の目黒に腕を掴まれ、気付けば目黒線に乗っていた。着いたよ、と下りた先は彼の路線名を冠した駅で、そして、なぜかそこで、みなとみらいは掲示板の飾り付けを手伝わされる事になったのである。

「……なあ目黒ー、これ一体どうするんだ……?」

 もうオレぐるぐるじゃん、とぼやくみなとみらいの腕には、仮留めのテープが付けられた紙の花がびっしりと付けられている。それを見た目黒はにっこりと笑って、あと少しかなぁ、とはぐらかした。

「大体、どうしてこんな事してんの、目黒?」
「うーん、どうして、って言われると困っちゃうなぁ。暇だったからかな」

 はいそっち持って、と渡されたモールの端を掲げて、ピンで固定する。今いる場所が脚立の頂点である上、まだ完成していない(らしい、目黒曰く)ので全容を見ていないのもあるが、恐らくこの掲示板の周りだけ一足早い上に、一般の流れからは趣向の違ったお祭り気分になってしまっているだろう。
 そう、時はまだ十一月の終わり。クリスマスのデコレーションを駅に施すにしたって、些か尚早であろう。
 そう首を傾げると、目黒はふふふ、と笑って、纏めて動物の尾の様になった髪の先をゆらりと揺らした。

「メトロの南北線、あるでしょう?」
「うん」
「それがね、今年で開業十九年で、それで、僕との直通が十周年なんだよね」

 おめでたいよね、君もそう思うだろう、ヘッドマークも付けてるんだよ、と一人で締め括って一人で満面の笑みを浮かべた目黒に対して、上手いリアクションが取れなかった。東横ならどうするだろう。やはり――意味が分からない、と怒鳴るだろうか。

(まあ、そもそも東横はこんなの手伝わないよなぁ)

 肩を竦めて、白い花の中に赤い花で「10」の数字を作っていく。東横に指定された時間は駅に着いた時点で過ぎていたのだが、目黒に捕まった時に彼と約束をしているのだ、と白状すると、目黒は「それなら僕から一本連絡を入れておいて上げよう」と言ってのけたのである。
 強制労働であった。

(あ、甘いの、食いたい……。東横取っといてくれてっかなぁ)

「十周年記念で、都営三田線も入れて、三路線で企画もやっているからね」

 ほら、と指された指の先、モールの下のポスターには、デフォルメされた各線の車両のイラストと共に、確かに携帯電話を利用したスタンプラリーの要項が書かれたポスターが掲示されている。しかし、まさかこれの為だけの飾りつけとは露も思っていなかったみなとみらいは、納得しきれぬ思いを口から零した。

「何か、目黒がこゆ事すんの、ちょっと意外じゃん? ウチなら分かるんだけど。オレも職員も、こう言うの好きだし」

 何せ、己の開業記念の為に手製のヘッドマークまで作ってくれる現業達である。
 オレってば愛されてるよなぁ、とやおら悦に入り始めたみなとみらいを見て、目黒はうん、と話を聞いているのかいないのか判別の付かぬ頷きを一つ返して、

「だって、直通すればそれだけウチにお客さんが流れるだろう?」

 曇りない瞳で穏やかに笑んだ目黒は、やはり腐っても本人の様子が古ぼけていても東急線なのだろう。

「……目黒がそう言う事言うの、余計意外だぜ」
「そうかな。ウチは皆こうだと思うけど」

 ううん、と首を捻って、目黒はみなとみらいから見て一番端に位置する波を作って、ピンで留めた。

「はい、完成」
「お、マジでっ?」

 大人ってゴーツクバリ、と思っても、目先に気になる事があればそちらに食いつくのが子供と言うものである。慌しく脚立を降りて眺めると、掲示板は予想していたよりも賑やかな出来栄えになっていた。

「おー、いいじゃん」
「うん、君が手伝ってくれたお陰、かな。有難うみなとみらい」
「え、いいっていいて、お安い御用じゃん?」
「第三セクターなのに、手伝わせちゃって」
「うん、それは別に、関係なくね……?」

 一言余計な事まで付け加えてくれてから、目黒もみなとみらいに比べればうんとゆっくりとした所作で脚立を降りてくる。並んで立ってみると、そう言えば彼は東横よりも高い背をしていたのだった、なんて事を思い出していると、青年の姿をした爺は、そうだ、と言ってジャケットのポケットを漁り出した。

「東横の約束に遅刻させちゃったのもあるし、お駄賃」
「あ、……ありがとな」

 広げた両手にぼとぼとと落とされたチョコレートは、高級チョコレート店の包み紙のものだ。カラフルな銀紙の山と目黒とを見比べていると、貰い物だから気にしないでいい、と彼は微笑んだ。
 柔らかく笑む顔から感じる穏やかな印象と先程垣間見えたような「東急」らしさ、そして大井町や東横から又聞きした「目蒲線」の話と、混ぜ合わせて考えればアンバランスどころの話ではない、のだが。

「……目黒って、変なやつ」
「そうかな?」

 こくりと首を傾げる目黒を見て、大きく頭を上下させる。

「うん、やっぱ東急、って感じ」

 言ってやると、己の何倍も長く路線運行をしていた彼は、しれっとした顔で「君の方が面白いよ」と言ったのであった。