(I Can’t Get No) Satisfaction - 2/3

走る! リテール

 そろそろ年度も変わろうかと言う、まだ寒さがしぶとく残る昼下がりの事であった。

「失礼します!」

 ノックの後、いらえも待たずにドアを開けて、その少年はここ、横浜駅の休憩室へずかずかと足を踏み入れてきた。さらさらの茶髪を軽く七三に分けて、くりっとした目に大きなレンズの丸眼鏡でスーツを纏った、齢十五程の少年である。

「おー、リテールじゃん! どったの?」

 もそもそと食べていた霧笛楼のブラウニーから手を離して、みなとみらい線はぺこりと勢いよく一礼した少年に軽く手を挙げて挨拶する。すると彼ははい! と溌剌と返事をして、テーブルに座るみなとみらいと東横へ晴れやかな笑顔を向けた。
 リテール――東急ステーションリテールは、toksを含めた駅ナカの施設の管理と、東急電鉄主導で販売する鉄道グッズの開発などを行っている会社だ。その彼がここに来たと言う事は、恐らくはここにいる路線のグッズについての相談なのだろう。

「よかった、東横さん、こちらにいらっしゃるとお聞きしたもので」

 小脇にファイルを抱え、手には紙袋を持ったリテールが、東横の姿を認めるなりほっと息を吐いた。どうにも、今回は東横に用があったらしい。

「オレに用か?」
「はい! 四月の頭に発売するグッズの見本が届いたので、ご本人である東横さんに一足先にお見せしようかと思いまして」
「なぁんだ、オレじゃないんだ……」

 もしかして自分かな、と思っていたみなとみらいが肩をがくりと落とす。あはは、とファイルを開きながらリテールが笑った。

「みなとみらい君は、今度方向幕ボールペンが出るとお聞きしましたよ」
「んー、そうなんだけどさ。……つーか流石だな。情報早いじゃん、リテール」
「ふふ、仕事ですからね! で、こちらがその新商品です、東横さん」

 リテールがファイルから報道向けの資料とおぼしき紙を、次いでグッズの見本を出す。グッズを見るなり東横がむっと顔を顰めたのだが、そこはよく見えていない――と言うか、見ていないようだった。

「……何だ、これは」
「よくぞお聞き下さいました! まあ見ればお分かり頂けると思うんですが、こちらが今回発売します東急線グッズ、その名も『東急旧五〇〇〇系・アオガエル電車型目覚まし時計』! です!」

 高らかに長い商品名を読み上げて、えへん、とリテールが胸を張った。スーツの襟に輝く青の東急の社章にも負けぬ笑顔を浮かべながら、やはり東横の表情なんてこれっぽっちも気にせず、黙り込む彼の手に勝手にグッズの箱を持たせている。

「どうです東横さん! これは売れますよ!」
「……何が『これは売れます』、だ、この馬鹿販売業が!」

 手にしていた箱を荒っぽく机に置いて、声を荒げて東横が勢いよく椅子から立ち上がった。

「どうして今更アオガエルなんだよ!」
「え、だってもう五〇五〇では出したじゃないですか。あ、さては東横さん、クオリティにご不安でもおありなんですね?」

 いつも思うのだが、この東横の意思をまったく汲まずに話を進める辺り、リテールもなかなかである。さあさあ、と箱を開けて、リテールは目をキラキラと輝かせながら説明を始めた。

「なんとこちら、アラーム音には実車の警笛音を使用しております。……あ、その顔、昔の映像から拾ってきたんだろ、とか思ってますね? それがですね東横さん、今回きちんと旧五〇〇〇の払い下げ先である熊電さんにご協力頂きまして、きちんと録音し直し! 新規音声! です! いやあ僕直々熊本まで出張に行かせて頂きましてね、あ、これそのお土産なんですけど。それでですね、デジタル表示の横にはLEDライトも付いておりまして、そしてなんと、と言うか勿論、と言いますか、ご安心下さい」

 立て板に水とは、正にこの事を言うのだろう。テレビの通販番組もかくやの勢いでまくし立て、東横の席の脇に「武者返し」と書かれた菓子折の箱を置いてから、リテールはおもむろに旧五〇〇〇系――通称アオガエルの胴体を掴んで後ろに引いた。

「走ります!」
「……何が走ります、だ!」

 ぱっと手を離され、二十センチ程まっすぐ走っていったアオガエルを無視して東横が怒鳴る。それだけにはとどまらず、みなとみらいが菓子折の包装を解き、個包装になっている中の菓子を摘み出している間も、ああだこうだと文句を述べた。

「大体だな、どうしていちいちプルバック機能を付けたがるんだよ、お前らは! 貯金箱は百歩譲っていいとして、どうして携帯ストラップや目覚まし時計まで走らせる必要がある!」
「何を仰います東横さん、走った方が楽しいじゃないですか。『走る!』って商品名に付いてた方が絶対売れますよ。ちゃんと調べた事ないですけど」
「売れる売れると言うが、この間のFラインストラップはまだ売れ残っているぞ」
「あー、ごしゃそーちょくストラップ? だっけ?」

 さくさくしたパイ生地の中に入った餡をむぐむぐと咀嚼しながら、口を挟む。すると東横はようやく箱を開けていた事に気付いたらしく、一瞬だけぽかんと口を開けてから、きりりと眉を逆立ててこちらへ向き直った。

「お前、何勝手に……!」
「ん、うめーよ? 東横も食う?」

 ほい、と小さな包みを手に取り、東横の掌に載せてやる。ひくひくと眉を動かす彼は放っておくとして、みなとみらいは最後の一口を放り込みながらリテールに首を傾げる。

「あれだ、走らねーから売れないんじゃね、あれ」
「なるほど!」
「何がなるほど、だ、馬鹿二人は黙れ! それに五社相直じゃない、チームFラインストラップ、だ、MM!」

 ぽん、と手を叩いて大きく頷いたリテールと纏めて怒鳴られて、思わず首が縮こまった。
 そんな事を言いつつ、きちんと正式な商品名が出て来る辺り、彼だって何だかんだ言ってグッズをちゃんと把握しているのではないか。全く、我が兄貴分ながら素直じゃない。

「まあまあ、取り敢えず落ち着いて座れって、とーよこ」
「……リテールのセンスは信用がおけん」
「何か割と全否定しますね、東横さん」
「『ヨンデルとサガーデル』だぞ、信じられるか」

 toks内部に置いてある書籍コーナーの名を挙げながら、いかにも渋々と言った様子で東横が腰を下ろす。ぺりぺりと武者返しの包装を開ける東横を見つめながら、これまでのテンションを落ち着かせるようにリテールが大きな眼鏡のつるを押し上げた。

「だって読んでると差が出る本を紹介してるんだから、そりゃ当然じゃないですか」
「……お前にはもう、何も言わない……」

 渋面のまま菓子を平らげている東横を尻目に、みなとみらいは脇に置いていたマグカップに入ったミルクティをずるずると啜る。料理は全く出来ない東横だが、こと飲料に関しては上手い、と思う。このミルクティも簡易キッチンで鍋から淹れてくれたものだが、味の分からない自分にも何と言うか、きちんとした香りとかコクとかが出ているのが分かった。きっと、茶葉もいいものを使っているに違いない。

「リテールさあ、オレのグッズは作ってんねーの?」
「みなとみらい君は、そうですね、まずは赤字を完済しないと。電鉄が君を買い上げてウチの路線になったら、記念に何でも作っちゃいましょう! 走るやつを!」

 横浜高速鉄道の売却の話がうっすらと上がっているのはみなとみらい自身も勿論分かっているのだが、ここまで清々しく「東急に来い」と言われてしまうと、何だか否定するのも躊躇われた。第三セクターとは言え、一応今の会社に愛着もプライドもあるつもり、ではある、のだが。

(つか、そもそも今の東急にオレを買い取る金銭的余裕なんてねぇじゃん……)

 メトロと相鉄との相直に、永田町と渋谷の再開発。電鉄だけではなく、グループ全体を見たって、子供でも多額の資金が要る事が分かるような案件が山積みだ。

「………考えとくわ」

 いつの間にか東横も菓子を置いてこちらを見ているし、何だか気まずくてしょうがない。何と返していいか分からなくなって、みなとみらいは手に持ったマグカップを揺らしながら、へらりと力の抜けた笑みを浮かべて誤魔化すのであった。