おねだりは子供の特権です

 何だこの状況は。
 タイミングもなく降りかかってきた出来事に、仮眠明けの頭がなかなかついていかない。横浜駅に設けられた休憩室で、仮眠の為にと備え付けのブランケットを引っ張り出したのは一時間半程前の午前十時前後と言うのは覚えている。加えて、今この部屋にいるこの小さい生き物がみなとみらいであるのも分かっている。だが、ではなぜそのみなとみらいが自分の上にいるのだろうか。
 そもそも、東横は横たわって眠った覚えはない。腰掛けた膝にブランケットをかけて、アラームをセットした携帯を横に腕を組んでいたはずなのだが、はて。

「とうよこ」

 バランスを崩して倒れ込んだ己とみなとみらいの足の間に、くしゃくしゃになったブランケットが見て取れる。ぎゅう、としがみついてくる体は幼いせいか熱く感じられて、緩めた襟元にも温かな吐息が当たっていた。

「……MM?」
 縮めて彼を呼んで、垂れている前髪の束を撫でてやる。すると少年はいつもとは違うどこか余裕のない声で、再び東横の名を呼んだ。

「おねが……、頼むから、ちょうだい、東横」

 ナニを。
 思わず頭に浮かんだ、どうしようもない、大井町辺りが顔を顰めそうな予想を振り払って、東横はつとめて落ち着いた声音を搾り出す。

「……何の、話だ」
「んな事言って、東横、分かってる癖に」

 ひでぇ、と東横を詰って、みなとみらいが体重をかけた。自分よりもうんと小さい体躯は、遠慮と言うリミッターを外しているせいで意外に力がしっかりとしている。
 二人の体重を受け止めているソファのスプリングがきしりと音を立てて、その音の間隙を縫って、子供が「なぁ」と声を上げた。

「なぁ、頼むって……。オレ、こんな事頼めるの、東横しかいなくって……」
「MM、落ち着け」
「やだ。もうオレ、我慢出来ねぇもん。東横がいいって言ってくれるまで、離れねぇからな」
「な………」

 ここが横浜でよかった。これが渋谷だったりして、あまつどこかの緑色をした馬鹿に見られようものなら後が面倒だ。
 東横にとって、みなとみらいは開業当初から面倒を見てきた路線である。そんな彼に必要とされ、求められる事自体は、ある程度は当然であろうとも思う。だが、流石にこれは些かまずいのではないだろうか。

「いいかMM、お前はまだ子供だろうが。開業してまだ六年しか経っていないし、」

 その頃既にあれこれいけない遊びを覚えていた気がする自分を「創始者のせい」と棚上げしつつ、そもそもオレは男だ、と続けようとした、その瞬間であった。

「んな事言ったって、オレだって欲しいもん。新車」

 眉をぎゅっとひそめ、苦いものでも口に含んだような形をした唇が、そう吐き捨てた。

「………は」
「だって、東横今年すっげぇ新車入れたじゃん! えーと五台? だっけ? 新車入れてねぇ田都の中間車までパクってさー! ずりぃじゃん!」
「人聞きの悪い事を言うな! コストを盾に無理矢理組み込まれただけだ、恥辱だ恥辱!」

 一息に捲くし立ててくるみなとみらいに、応じる東横もつい語調が強くなってしまう。

「大体だな、それはオレではなく田園都市に言うべきだろうが! お前の車両はアイツの5000ベースだろう!」
「だって、だって田都何かこえぇんだもん! 話し掛けると『三セクが何か用か』、とか言うしさぁー!」

 眼鏡のブリッジを押し上げる動作まで加えて、みなとみらいはご丁寧にさして似てもいない物真似をする。
 斜め上の予想を立てて慌てていた自分が馬鹿馬鹿しくて仕方がない。その羞恥を隠そうとどんどんと大きく強くなる声に何か気付いたのだろうか、ふとみなとみらいが東横に馬乗りになったままの体勢で小首を傾げた。

「とーよこ、何か顔赤くね?」
「赤くない! そう見えるとしたら暖房のせいだ!」
「うーん、まぁ、東横赤いしなぁ」

 ラインカラーの事だろう、大して今の問題とは関係のない事を口にしながら、みなとみらいの指先が東横の頬を押す。

「えーい、うりうり」
「……いい加減にしろ!」

 きゃいきゃいとじゃれ始めた体を引っぺがして、ソファにきちんと座り直す。東横とは反対側に押しやられたみなとみらいは未だにうーん、と首をひねりながら、珍しく文句も言わずに東横を見つめていた。

(大人しくしていれば、見れるやつだと言うのに)

 いつも騒がしくしているから分かりにくいが、こうして黙って目を瞬かせているのを見る分には、みなとみらいは愛嬌のある顔をしている。そうしているとまるで別人のようで、普段ももう少し落ち着いた言動を取っていれば少しは印象も変わるかもしれない、とさえ思うのだ。
 きゅ、と引き結ばれていた口が綻んで、ぽつりと呟いた。

「とーよこのえっち」
「!?」
「へんたーい。オレ、そんなつもりで言ったんじゃねぇのに……」

 前言撤回である。馬鹿はどこまで行こうが黙ろうが喚こうが馬鹿なのだ。このゆとりめ、六編成から更に車両を減らしてやろうか畜生。
 きゃっ、と気持ちの悪いしなを作って赤らんだ頬を手で包んだみなとみらいに、怒号と共に拳が降ったのは言うまでもない。