わんこは路線管理出来ません

 十一月二十六日、東横線渋谷駅ー代官山駅区間において、線路内の安全確認の為、遅延。

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 電車が駅に停車するや否や、みなとみらいは車掌台から降りて彼の姿を探した。
 先刻に起きたちょっとしたトラブルのせいもあってか、今日の東横線渋谷駅は昼に近い時間帯になった今も、普段と比べて少しざわついている気がする。改札の方に行く程人が多くなるし、と首を捻っていると、ホームの先端、代官山方面の方からわん、と小さな声が聞こえた。

(……あ)

 ぴんとくるものがあって、そちらの方へと視線を飛ばす。緩やかなカーブを描くホームの先、あまり人の留まらぬそこによく慣れたシルエットを見つけて、一目散に駆け寄った。

「とーよこー!」
「馬鹿、五月蠅い、黙れ!」

 両手を広げながら近付くと、彼――東横は鋭い声を浴びせかけてきた。それに驚いてか、また彼の腕の中でわん、と声がする。

「東横、んな大声出したらわんこ驚いちゃうじゃん……」
「こんな犬畜生知るか! 全く、こいつ一匹のせいでどれだけの迷惑を被ったと思っている!」

 そうは言っても、では東横が抱えている彼に罪があるかと言われると難しい。まあ、確かに、彼がふらふらと線路内に立ち入ってしまったせいで、東横線は遅延する羽目になってしまったのだが。

「新しいじゃんな、線路内犬立ち入り」
「馬鹿、茶化すな」

 こんな所に迷い込んでしまうだけあって野良犬なのだろうが、東横に大人しく抱えられている所を見る限りでは、それなりに人懐っこい犬のようだ。少しだけ煤に汚れた柴犬混じりらしい雑種の鼻の頭を指先でちょいちょいと撫でると、ふすふすと掌に鼻頭を押しつけてきた。

「おおー……。可愛い……!」
「じゃあお前にやる」
「ダメだって! とーよこの所に来たんだから、とーよこのわんこだろ? きっとこいつだってオレよりとーよこのがいいって言うぜ?」

 なー、と小首を傾げると、ひょこ、と真似するように小さな彼も首を曲げてみせた。……やはり、可愛い。

「うー、東横、こいつ」
「ダメだ、引き取るなんて馬鹿言ったら代わりにお前が保健所行きだからな」
「ええええー!」

 保健所行きの路線って、一体職員にどう説明すればいいのだろうか。
 代わりに、と言う事は、ではこのもふもふが代わりにみなとみらい線になるのか。嫌だ。それは困る。

「こ、こいつじゃ東横と相直出来ねぇじゃんー! 手繋げないじゃん!」

 だが、ぐいぐいと引いた腕から視線を移すと、現業のように白い手袋をつけた手の上には、可愛らしい薄茶の手が乗っていた。それを見るなり、ぶわあ、とみなとみらいの目頭に涙が溜まる。

「うわあん、ちょ、ダメだってばー! それはオレの仕事じゃんー!」

 手離せようわんこの馬鹿あ、とべそをかきながら力ずくで犬を引き剥がす。抱えた子犬は重く、そしてやはり無理矢理に離したせいできゃんきゃんと悲しそうに鳴いていたけれども、保健所行きはどうしても避けたいみなとみらいである。背に腹は代えられない。

「……お前はさっきから一人で何を盛り上がっているんだ」
「うえ、だって、とーよこがぁ……」
「東横さん、保健所の方いらっしゃいましたよ」

 改札の方から小走りでやってきた現業を見て、やっとか、東横が肩を竦めた。

「東横さん、代官山に行ってからずっとそいつに振り回されてましたからね。飛びかかられるわ舐められるわ……」

 確かに、言われてみると、東横の制服とコートはベージュ色の毛でまだら模様になっていた。東横の性格からして動物に優しくなど出来るはずはないのに、そんな彼に懐くなんて、なかなかに珍しい犬である。

(まあ、とーよこ優しいからなぁ。気持ちは分かるぜ)

 今度は己の顎先をぺろぺろと舐めている犬にうんうんと頷いていると、東横がふん、と鼻を鳴らしてこちらへ向き直った。

「思い出させるな、余計に疲れる。ゆとり、そいつを預けに行くぞ」
「うえっ? マジでこいつ、保健所行くの?」
「引き取れる訳ないだろうが。またその辺に放るより、しかるべき所に預けて飼い主を探した方がそいつの為だ」

 それはそうなのだが、こうして抱えて実際にぬくもりを腕の中に認めてしまうと、どうにも離しがたい。

「うう……ごめんな、犬じゃ路線管理は出来ないんよ……。オレがお前の分も頑張るからな、許してな!」

 くうん、と見上げてくるつぶらな瞳にそう言うと、だからお前は一人で何を盛り上がっているんだ、と後ろから勢いよく後頭部を叩かれたのであった。