召しませ、フレーバー

「気に食わん」

 休憩室に入るなり、ふんぞり返りながら開口一番にそう言った東横線を横目で見ながら、はあ、とみなとみらい線は間の抜けた相槌を打った。

「何がよ?」
「お前……この間開業何年になったんだ? いい加減覚えろ」
「や、今日が東横の開業日なのは知ってんよ?」

 だからこそ彼の天下である渋谷までわざわざ出向いてきたのだが、開業日であるにも関わらず、東横は机に山と積まれたプレゼントを睨み付け、ひどく不機嫌そうな表情を浮かべていた。

「ほら、ちゃんとオレだってウチんとこの職員からの持ってきたじゃん? じゃーんっ、霧笛楼!」

 ほらほら、と包装紙に包まれた霧笛楼のギフトセットを取り出して、みなとみらいは東横には逆立ちしたって出来ないであろう愛想のいい笑顔を浮かべた。……の、だが。

「だああああっ! お前もか! くそ、横浜高速鉄道め……!!」
「え? あ? おぉっ?!」

 がたん、と音を立てて東横が立ち上がる。その拍子に箱の山が崩れてしまったのだが、何やらスイッチの入ってしまったらしい東横は少しも気付いていないようであった。

「オレの開業日が二月十四日だからって、揃いも揃ってチョコばかり……!」
「………あー」

 そう言えば、去年も一昨年も更にその前も、彼は同じ理由で同じように怒っていた気がする。そしてその度に思い出して言っているセリフがあって、申し訳ないのと面倒が半々の微妙な心持ちになりつつ、みなとみらいはそれを今年も口にする。

「ワリ、東横。職員の兄ちゃん達に言い忘れてたわ……その、今年も」
「いい、もういい……。どこぞの製菓会社の陰謀のせいで日本がこんな狂った事になってしまっている事に関して、オレは今更何か言うつもりはない」

 無茶苦茶に言いたい事がある顔で、口調だけは悟った風に呟いて、東横はゆらりと箱の一つに手を伸ばした。黒い箱に白のリボンが巻かれたそれは、やはり高級チョコレートの類だろう。

「もしかして、東急からのも入ってんの? それ」
「ああ。大井町が寄越したのなら、確かそれだな」

 東横がちょい、と指で山の端にある大きな箱を指す。もぐもぐと香り高いショコラを咀嚼しながら示された細長い茶の箱を見て、はあ、とみなとみらいの口から溜め息が漏れた。

「ジャン=ポール・エヴァンじゃん、これ! いいなぁ、オレいっぺん食ってみたかったんだよなぁ、そこの」
「何なら持って帰っても構わんぞ?」
「……や、それ姉さんが怒っから……。バレたら東横だって殴られんじゃん?」

 姉さん、と呼んだ大井町は、女性にしてはなかなかに豪快な性格をしている。丸ごとみなとみらいに渡したと知れたら、自分は兎も角東横は怒られるに違いない。日頃から彼女の怒鳴り声がやかましいと文句を言っているのに、わざわざ自ら怒鳴られるような理由を作らずともいいだろう。
 ――と、みなとみらいが思っていた時である。

「……捨ててやる」
「はぁ!?」

 ぽつりと東横が漏らした言葉に、みなとみらいは一瞬我が耳を疑った。
 人に貰ったものを捨てるなんて、まず有り得ない。確かに仕事の関係上、慣習で贈られているようなものもあるのだろうが、それにしたってその人が掛けたコストやら思いやらが全てぶち壊しだ。
 だが、平然と人の気持ちをぶち壊すのが東急東横線その人である。平素の様子をざっと思い返し、「東横ならやりかねない」と言う結論を出した頭に従うまま、みなとみらいは東横の腕にひしと抱きついた。

「ちょっ、タンマタンマ! もったいねーって! 幾らすると思ってんだよ、それ! 絶対高いやつじゃん!」
「この手の菓子は食い飽きた」
「あーもー、ワガママだぞとーよこ! んな事するくらいなら……オレに………」

 腕にしがみついている間にふと見えたものに些か驚いて、言葉が途切れ途切れになる。それに気付いたらしい東横が振りかぶっていた腕を下ろして、どうした、とみなとみらいの顔を覗き込んだ。

「………んや、その東横が持ってるやつさ、日比谷……からのじゃね……?」

 箱とリボンの間に、薄いカードが折り畳まれて挟み込まれている。表に書かれた「東横開業日おめでとう 日比谷」と言う几帳面な字は、みなとみらいの見間違いでなければ本物だ。
「…………」

 日比谷の名を出した瞬間に表情をぴしりと固まらせ、東横は箱と暫し睨みあう。それをはらはらと見守りつつも、みなとみらいは一つの確証を心の内に得ていた。
 本人は否定するが、東横が日比谷に弱いのは周知の事実だ。恋愛感情ではないが、どう言う意味と意図でかは分からないものの、兎に角彼を可愛がりたいらしい。日々彼の為に運行順を変更したりしてまで直通を保つくらいだから、さしもの東横も日比谷に対してひどい事はすまい。

「……貰っておいてやるか」
「うん、それがいいって。あげたやつらが可哀想じゃん、オレんとこも含めてさ」

 どかりと椅子に掛け直し、あまつ日比谷のチョコの箱をいそいそと開け始めた現金な東横を呆れた目で見つつ、みなとみらいは彼の向かいに腰を下ろした。十中八九、この流れならご相伴に預かれるに違いない。

「大体だ。よく考えればだな、その、食い物を無駄にするのはよくない事だしな」
「何か、そゆ事言うと一気に戦前の匂いがしてくんな、東横……。平成っ子としてはしょっぱいぜ……」

 率直な感想を口にしたみなとみらいに五月蠅い、と言い返し、東横は箱の中のショコラをぱくりと口に放り込んだ。指が摘んだショコラはこっくりとしたラズベリー色の、可愛らしいハート型だ。

「ふん、まあ、悪くない」

 自分ならば、大きくなったとしたって一粒数百円もするチョコに対してそんな尊大な態度は取れそうにないな、と心中で嘆息しつつ、みなとみらいはあーん、と大口を開けてショコラをねだった。