グッドナイト、マイボーイ

 ベッドに潜り込み、AIにおやすみと声をかけて照明を落とそうとした、その時であった。

「……マスター」

 部屋の外から、クウヤを呼ぶ声がした。シグの声だ。
 声はごく控えめなもので、シグの性格からして、恐らく反応が遅れたらすぐさま引き返してしまうだろう。だからこそ、クウヤは飛び起き、ドアを開けた。

「どうした、シグ?」

 スライドドアの向こうには、困り切った顔をしたシグが、所在なさげに突っ立っていた。

「……その、このようなことを申し上げるのは非常に申し訳ないのですが……」
「どうしたんだ、シグ。困らないし怒らないから、なんでも言ってくれ」

 なにか起きただろうか。部屋の管理に使用しているAIや機器に不具合でも、と眠ろうとした頭をフル回転させ、クウヤはつとめて落ち着いた声を出し、続きを促す。
 大きな肩を目一杯に小さくさせて、シグは組んでいた手をゆっくりと開いた。
 さてなんの不具合だ、僕に解決出来ることだろうか。必要であればクローゼットから工具類を引っ張り出して――そんなことを考えていたクウヤの頭にこつりとぶつけられたのは、ひどく幼い要望であった。

「一緒に寝て下さいませんか?」
「……は?」

 思ってもみなかった言葉に、一瞬思考がフリーズする。それを否定的に捉えたのだろう、シグは慌てて手を振って、いえ、と言葉を継いだ。

「なんでもありません、お忘れ下さい。お休み前に失礼……」
「眠れないのか?」
「いえ、えっと、その……はい……」

 じっと見上げると、やわらかい青色をした瞳がうろうろと泳いで、それからいかにも申し訳なさそうに伏せられた。

「お前の部屋でいいか?」

 ドアの境目に手をかけて、身を乗り出す。シグが驚いて後ずさりすると、出来た空間に体を滑り込ませ、クウヤは廊下へ出た。
 背後で、シャコ、と扉の閉まる音がする。脇に避けたシグの手首を掴み、隣である彼の部屋まで引っ張りながら、クウヤはちらりと背後を振り返った。

「ほら、寝るぞ」
「は、はい」

 ドア横のパネルに掌をかざし、ロックを解除し部屋に入る。入ってすぐ横に据えられたベッドに膝を載せると、シーツはひんやりと冷えていた。

「ほら」

 布団をめくり上げ、中に入る。端に寄りながらシグの方を見遣ると、彼はまだ部屋の入り口に立っていた。

「……なにしてるんだ?」
「その、……マスター、お怒りではないのですか?」
「……恋人の『お願い』くらいで怒るような人間だと思われてるのか、僕は?」
「な……」
「言っておいてそこに立ちっぱなしの方が怒るぞ。さっさと入れ」

 そこまで言うと、ようやくシグは弾かれたようにベッドへ近づき、恐る恐ると言った様子で中に入ってきた。

「し、失礼します……」
「お前のベッドだけどな」

 心地のいい体勢を探るようにもぞもぞと身じろぎをしたかと思うと、シグはやっと、ほう、と安堵の吐息を漏らした。

「あたたかいですね」
「ああ、そうだな。……ホーム・マネージャー、消灯」

 部屋に備えつけのAIに声をかけると、応答の代わりに照明が落ちた。
 自分の枕を持ってくればよかった、と思いながら、彼の枕の隅に頬を載せる。それで気づいたのだろう、シグは躊躇いがちではあるものの、クウヤに腕を伸ばして抱き寄せ、自身の腕を枕として差し出した。

「……本当にあったかいな」
「ええ、マスターのお陰ですね。ありがとうございます」
「別に、これくらいなんでもないよ。……それより、シグ」

 横になった途端蘇ってきた眠気を見ない振りして、クウヤは至近距離となったシグの双眸を見つめた。

「眠れない、って嘘だろ。そもそもお前、まだベッドに入ってなかったな」

 ベッドに上がった時、おかしいと思ったのだ。眠ろうとベッドに入っていたら、こんなにシーツが冷えているはずがない。

「その、申し訳ありませ……」
「……だからいいよ、それくらい」

 クウヤの指摘に、シグは再び恐縮しきった顔をした。放っておけばいくらでも謝罪を重ねそうな唇を短いキスで塞いで、クウヤはふ、と笑みを零す。
 一緒に眠りたいだなんて、わがままにしたって可愛いものだ。
 くあ、と口を開けてあくびを漏らすと、シグの大きな手が後頭部をさりさりと撫でた。一定のリズムで触れられるお陰で、眠気はむくむくと大きく育つ。頼りがいのある広い胸に鼻先を埋めると、クウヤと同じボディソープのにおいがした。

「……マスター、その」
「……なんだ……?」

 うとうととしかけた時に声をかけられたせいで、いささかぶっきらぼうな返しになってしまったが、返答しただけでも褒めて欲しいくらいに眠い。だが、一本調子な声にも怖じ気づくことなく、シグはあの、とおずおずと言葉を続けた。

「先ほど、私のことを……」
「恋人?」

 口にしたばかりの呼称を再び発すると、シグはあからさまに赤面した。
 あまりにもうぶな反応に、眠気が少し飛んでしまった。まるで恋を覚えたばかりの少年のようだ。

(……いや、あまり変わらないか……)

 生後で言えば一年も経っていないのだ、初々しいリアクションも当然と言えば当然である。
 首を伸び上がらせ、両頬を手でくるんで口づける。二人頭を並べて寝ているため、普段よりもキスがしやすかった。

「恋人が嫌なら、パートナーとか?」
「……その」
「ギフテッドがどうのビラヴドがどうのって言うのは聞きたくないからな」

 じとりと睨みつけると、シグは眉尻を下げて曖昧に笑んだ。どうにも、この辺の考えの差は容易くは埋まってくれないらしい。

「……眠い」

 もっとなにか言葉をかけてやりたいのに、頭には霞がかかり、最早口を動かすのも面倒だった。かろうじて眠気を申告すると、頭を撫でていた手が背に回り、ぎゅうと抱きしめられた。

「ええ、眠りましょう、マスター・クウヤ」
「……おやすみ、シグ」

 すり寄った首筋も胸板も、どこもかしこも温かい。試しに足を絡めてみると、たくましい脛が、遊ぶようにもぞもぞと動いた。

「おやすみなさい、マスター」

 彼から誘われたのに、先に眠ってしまうなんて少し情けない。けれどももう、指一本すら動かせそうになかった。

(次の時はもっと……寝顔を確かめてから……)

 体に回った腕の重みが心地よい。とくとくとリズムを刻む心臓の音を子守歌代わりに、クウヤは穏やかな眠りへと落ちていくのであった。