吐息はシュガーミルク (R-18)

 照明を絞った自室の中で、白い体がほんのりとオレンジ色の影を落として身を捩らせている。
 狭い肩が竦められたかと思うと、細い腕が後ろから自身を抱くシグの腕を掴んだ。
 だが、その力はごく弱い。抵抗していると言うよりも、縋りついているようであった。

「シグ、……っ、あ、あっ!」

 背がしなって、肩甲骨のなだらかな凹凸を辿るように汗が伝っていった。そのあまりの美しさに舌を伸ばして舐め取ると、ひ、と腕の中の男が悲鳴じみた声を上げる。

「や、……あ、あぁっ」

 男――シグのマスターであるクウヤ・アマサキは、冷ややかな美しさを持つ人物である。だが、今その表情からは平素の怜悧さはどろどろに溶けて失われ、代わりに艶やかな色が滲んでいた。
 涼しげな一重の瞳は快楽にけぶり、不意に訪れる刺激を逃がそうと伏せられる睫毛は繊細な影を落とす。
 昼間、静かに語りかけ、時たまシグには分からぬ仕事の専門的な話をする落ち着き払った声はぐずぐずに芯を失い、シロップを混ぜたように甘く響いた。
 時たまかぶりを振ると、アシンメトリーに整えられた滑らかな黒髪がぱさぱさと心地よい音を立てて揺れる。
 狭く、きゅうきゅうと締めつけてくる熱いそこをこじ開けるように腰を穿たせると、クウヤは首を仰け反らせてシグに縋る指へ力を籠めた。

「あ、い、いやだ、奥っ……」

 すらりと伸びる足をばたつかせても、後ろから腰に手を回し、座位で彼を抱いているシグから逃げることは出来ない。回す腕に力を入れ、更に引き寄せると、潤滑剤でぬめった接合部からぬちゃりと湿った音が立った。

「あ、あっ、……や、ひう……っ」
 腰を押しつけ、ぐりぐりとぬかるんだ内部の奥を先端で抉ると、刹那、きゅう、と後孔の締めつけが強くなった。

「あっ、あぁぁっ……!」
「っ、マスター……」

 反射的にこみ上げた射精感をやりすごしながら、目の前のクウヤを見ると、彼は首を上向かせ、シグにしなだれかかりながら、うわごとのように呟いた。

「な、なんで……あっ、あぁ……」

 なんのことだろう、と弛緩しきった彼の体を点検するように視線を巡らせて、足の間で半ば萎えながらもゆっくりと吐き出すように射精している性器を見て得心した。
 とろとろと精を零しているそこへ手を伸ばし、指で愛撫を加えながら後ろから腰を打ちつけると、クウヤは手を巻きつかせたシグの腕に顔を寄せ、いや、とか細く鳴いた。

「やめろ、い、いま、イって……あっ、んぅ……!」

 精液で濡れた手を滑らせ、自らの性器を飲み込んでいる腹をさする。掌で軽く押してみると、内腿がびくりと引き攣った。

「あっ、ばか、押す、な、あぁっ……ん、んんっ……」

 もう片手でくいと顎を取り、口づける。舌を絡めると、くぐもった声を上げる口の端からは、どちらのものか分からぬ唾液が伝った。
 真下から突き上げると、絶頂を迎えたばかりの内部がシグのものを絞り上げるようにうごめく。

「あ、っ……はぁっ、あっ、あっ、……ふ、うぅっ……!」

 閉じることの出来なくなった形のよい薄い唇からはぽろぽろと嬌声が零れる。もっと聞きたい、と言う気持ちと上り詰めてしまいたいと言う気持ちがない交ぜになったまま、ぐちゃぐちゃになったナカを擦り、堪能する。

「っ、マス、ター……!」
「あぁぁ、んぅ……」

 誤魔化しきれなくなった本能に任せるまま、クウヤの細い体躯へきつく腕を回して、果てる。繰り返し震えては精液を吐き出すシグのそれを、体の内側で嫌と言うほど感じているのであろう、クウヤは背を反らせながら、あぁ、と吐く息に色を混じらせた。

「……や、ま、まだ出てっ……」

 これ以上ないほどに引き寄せた腹が震えている。一滴も残さず飲み込むように収縮する襞を味わい尽くしてからゆっくりと己自身を引き抜くと、もう耐えられないとばかりにシグに抱えられていた体がシーツに横たわった。

「は、はぁっ、は……、……シグ……」

 先端に白濁の溜まったゴムを外し、端を結んでダストボックスに投げ入れてから、シグは覚束ない声で己を呼ぶクウヤへと覆い被さり、髪や顔のそこここへ唇を触れさせる。

「ん……」

 長い絶頂の余韻を引きずっているのだろう、時折ぴくぴくと肌を震わせながらも、しなやかな腕が首の後ろへ回り、キスをするために引き寄せられた。

「……、は……なぁ、シグ……」
「はい」

 口づけの合間を縫うように、クウヤがシグを呼ぶ。唇を離し、返事をすると、彼は荒い息を整えながら、ぽつりとシグに問いかけた。

「……その、よかったか?」
「ええ。……よくないように見えましたか?」
「見えなかった、けど、気になって……」

 は、は、と呼吸を繰り返し上下する肩に唇を落とし、髪を撫でながら、シグは逆に疑問を投げかける。

「あなたは?」

 問うと、黒い瞳がぱちぱちと瞬きして、ふ、と小さく笑まれた。行為の後だからか、ただの微笑のはずがやけに色っぽく見える。

「……よかったよ」
「そうですか」

 よかった。最初のうち、彼が「いやだ」と言う度に手や腰を止め、その度に「そういう意味じゃない」と何度も睨まれていたシグである。近頃ではよほどの拒否感がない限り――そして彼自身が気持ちよさそうにしている限り行為を止めることはしなかったが、それでも不安に思うのは変わらない。
 シグは、クウヤしか知らない。だが、クウヤはそうではない。
 だからこそ、笑みとともに囁かれた言葉は嬉しかった。たとえ彼が体で「気持ちいい」と表していたとしても、実際に口にされると心に安堵が広がる。
 すんなりとした首筋に唇を落とし、浮かんだ汗を舐め取ると、クウヤは目を伏せ、んん、となにかを堪えるように小さく声を上げる。少し挿入時の表情に似ている、と思ってしまって、ああ、とシグは自嘲した。どうにも、彼相手だと自制が利かなくなってしまう。
 変化に気づいたクウヤが、太腿をゆるく動かして、ふふ、と声を転がした。

「お前、元気だな……」

 動いた太腿が、再び熱を取り戻しつつあるシグのものを撫でる。そのくすぐったい感触にもどかしさを覚えながら、シグは目を伏せて謝罪と、その続きを乞う言葉を口にした。

「すみません。……その」
「……いいよ、あともう一回だけ……」

 夜闇の色をした瞳が、誘うように細められた。
 すっかり勃ち上がったそれにゴムをつけ直し、ベッドサイドに置いていたローションを垂らして、細い腰を掴んでゆっくりと挿入する。二度目だからだろうか、先ほどの時よりはスムーズにシグを受け入れたクウヤが、く、と噛み殺し切れぬ喘ぎを漏らした。

「ん、……くぅ、あぁっ……」

 片手でシーツを掴み、もう片手でシグの首を手繰り寄せて、クウヤがキスをねだる。
 甘い口づけでそれに応えながら、シグはふと、己の状況を振り返った。
 愛おしいと思っている相手は護衛対象で、自分が呼ぶ通りの「マスター」だ。その彼が体を許し、普段の凜とした姿を崩して乱れてくれている。

(……なんてことを、マスター・クウヤ)

 そのことをひどく恐ろしく、そして同じくらい嬉しい。

「……マスター。マスター、クウヤ」
「んっ……シグ、シグ……」

 ゆるゆると腰を動かしながら名を呼ぶと、当然のように呼び返される。
 彼がつけてくれた名が、甘く甘く耳に響く。
 一度目に比べれば静かに、しかし確実に快楽を求め合いながら、こみ上げる愛おしさに、シグは幾度もクウヤの唇にキスをするのであった。

 ◆

「セックスって疲れるんだな」
「……はい?」

 湯気の立ちこめるバスルームに落とされたぼやくような言葉に、シグは泡立てていたスポンジから顔を上げた。
 聞き間違いかと思ったが、そうではないらしい。
 湯を張り、浴室へ連れて行っても脱力したままであったクウヤの体を代わりに洗ってやり、バスタブへ入れてやって数分。ようやく人心地がついたのか、平素の冷静な表情を取り戻した彼が、湯で濡れた前髪をかき上げながら続けた。

「明日が休みだからいいが、仕事だったらと思うとぞっとする。使い物にならない自信がある」
「……はぁ」

 曖昧に相槌を打つと、浴槽の縁に腕を投げ出し、そこを枕のようにして頬を押しつけながら、はぁ、とクウヤは嘆息した。

「疲れた……」
「差し出がましいことを申しますが、マスター。もう少し体力をつけた方がいいのでは?」

 スポンジを脇に置き、枕にしている腕へ触れる。ぱっと見ても必要最低限以上の筋肉がついているようには見えず、触れる手に力を入れたら怪我をさせてしまうのではないかと思うほどに細い。

「いくら研究職と言っても、体力があるに越したことはないと思いますが」
「それは、そうだが……」

 腕を軽く押すと、それが気持ちいいらしい、今度は溜め息ではなく心地よさそうな吐息を吐いて、クウヤはちらりとスポンジを取り直したシグを見上げた。

「……お前、加減してる?」

 問われるまで意識したことはなかったが、そう言われてみるとそうかもしれない。
 強く抱きしめると、クウヤは時たま「痛い」と声を上げる。その口調は叱責するものではなく、大体が笑みを伴ったものであったが、それでもそう言うのだから多少は痛みを感じているのだろう。言われる度に力を緩めていることを思い出して、シグはゆっくりと頷いた。

「……多少は、そうかもしれないですね。マスターは私より華奢ですから」
「そうかぁ……」

 ううん、と唸ったかと思うと、クウヤはつらつらと言葉を継いだ。

「じゃあ、もう少し体力つけるか。それで年末とか……連休の時に……もっとゆっくり、お前が好きなように……して欲しい……」
「……え?」

 今度こそ聞き間違いだろう。あのマスター・クウヤが、いくら二人しかいない空間とは言え、こんなにもあけすけなことを言うはずがない。
 驚いてクウヤへ視線を移すと、腕に頬と言わず額まで押しつけて、ううん、と再び小さく漏れた声は、唸ると言うよりもむずがる子供のようだった。

「んん……」
「マスター、寝ないで下さいね? のぼせますよ?」
「おきてるよ……」
「寝そうに見えますよ、マス……」

 もにゃもにゃと反論した唇からすぅ、と聞こえるのは寝息以外の何者でもないだろう。

「……ああ、もう」

 バスタブと腕に器用に頭を預けて寝入る姿を見て、吐息を漏らす。
 このまま放っておいては、本当にのぼせてしまう。慌てて洗い残していたパーツをスポンジで擦り洗いながら、シグは我知らぬうちに笑んでいた。

「……本当に、あなたと言う方は」

 眠りの世界に足を突っ込んだ状態の言葉であっただろう。後で問い直しても、記憶にないと言われてしまうかもしれない。
 それでも、そう思ってくれていることが――シグにそこまで許してくれていると言うことが、言いようもなく嬉しかった。
 さあ、早く体を洗ってしまわねば。彼を起こして、浴室を出たら、今晩は二人でゆっくりと体を寄せ合って眠りたい。