彼方遠くの星よりも Intro +サンプル (R-18)

ここからは部分的なサンプルです

 ◆

「……それじゃあ、おやすみ、シグ」

 シグが寝部屋としている仕事部屋の方がリビングに近い。部屋の前で声をかけると、シグは目尻に小さなしわを作って、はい、と頷いた。

「マスターも、おやすみなさい。……ああ」

 仕事部屋のドアを開けて、シグが不意にクウヤの方を振り返った。
 どうした、と尋ねるよりも早く、シグが背を丸め、耳元で囁く。

「今日はして下さらないのですか、マスター?」

 普段数十センチ以上の距離を取って聞く穏やかな声が、なんだか意地悪げに響く。思わず声を吹き込まれた方の耳を押さえ、ばっと顔を上げると、シグはいやに清々しい笑顔でクウヤを見下ろしていた。

「な、お、お前、気づいてっ……!」

 なんのことかなんて、聞かなくても分かる。クウヤが数日間彼の部屋へ訪れてはしていた、額へのキスのことだろう。
 頬が勝手に熱くなる。きっと真っ赤になっているであろうクウヤに、シグはふふ、と小さく笑みを漏らした。

「それでは、おやすみなさい。マスター」

 シャコ、とスライドの音とともにドアが閉じる。羞恥でふらつく足でなんとか自室に戻ると、クウヤは一目散にベッドへ倒れ込んだ。
 まさか、気づいていたなんて思ってもいなかった。それとも、先ほどの会話で感づかれてしまったのだろうか。どちらにせよ、恥ずかしい。
 子供にするようなことをして、怒っていないだろうか。けれども、おやすみなさいと言ったシグの顔は晴れやかなもので、怒りなど抱いているようには見えなかった。
 明日、どんな顔をしておはようと言えばいいのだ。
 行き場のない気持ちごと枕を抱き込み、寝転がる。
 おやすみ、なんて言っておきながら、自分が眠れなくなりそうだった。

 ◆

 マグカップを持っていたからだろう、シグの手はほんのりと温かい。その手が、髪を撫でたそのままの動きで、輪郭を確かめるようにクウヤの頬をなぞる。
 頬を撫でていた手が、片頬を大きくくるむような形で動きを止める。なんとなしにその手首をゆるく掴むと、大きな手が動いて、つられるように顔が持ち上がった。

「……シグ?」

 コト、と小さく鳴った音は、シグがもう片手に持っていたマグカップを窓枠に置いた音だ。
 なにをしようとしているかなんて、尋ねなくても分かっている。それでも、名を呼ばずにはいられなかった。

「――どうかお許しを、マスター」

 なにを。今こうして顔を近づけ囁くことをか。それとも、もっと別のなにかを?
 額が触れる。次に鼻先が触れ合って、しっかりとした鼻梁の骨の硬さを感じた。

「……許可がなければ、ずっとこのままでいるつもりか?」
「ええ、そうです」

 馬鹿なことを言う。今にも唇が触れそうな距離で言葉を交わしながら、クウヤが嫌だと言えばそのまま離れるつもりなのか。
 愚直とも言える態度に少しだけ苛立って――それ以外に感じた残りの感情に気がついて、クウヤはそっと短くシグに口づけた。
 微かに、だが確かに芽吹きつつあるこの感情は、好意だ。
 それも、気安い友人に抱くようなそれではない。もっと親密で、もっと特別なものだ。

「……馬鹿だな、聞く必要なんて、今……」

 言葉を紡ぐために離した唇に、シグのそれが押しつけられる。頬を包んでいた手はいつの間にかうなじに回っていて、ぐい、と彼の方へ強く引き寄せられた。
 強く押しつけられた唇とのキスから逃れるには、後ろに反れて顔を離すしかない。けれども、首の根を掴むような手がそれを許してくれなかった。
 鼻から抜ける息は、我ながら苦しげにくぐもっている。抗議の言葉代わりにどん、と軽く肩を叩くと、シグはようやく長いキスからクウヤを解放した。
 は、は、と繰り返す自らの呼吸の音をBGMに、シグは困ったような顔をしてクウヤを見つめている。
 きっと、自分がしたことを越権行為だと――クウヤが叱責するとでも思っているのだろう。
 腕を伸ばして、彼の首の後ろへ巻きつける。先ほど彼が首の後ろを掴んだように、両腕で彼の顔を引き寄せて、クウヤは短く囁いた。

「くち」
「え?」
「口、開けろ。あと、舌……」

 説明するよりも、きっと実際にやった方が早い。そう判断して、クウヤは鼻先同士を擦らせ、シグにキスをした。
 シグがしたような、ただ唇を押しつけ重ねるだけのものではない。顔を傾け、唇をより深く合わせる。ゆるんだ歯間へ舌先を潜らせると、シグの体が強張ったのが、回した腕越しに感じられた。

「ん……」

 舌を差し入れると、驚いたのだろう、一瞬彼の舌が縮こまり、クウヤの舌を避けるように動く。それでもクウヤが唇を離さないでいると、ゆっくりと彼の舌が動き、恐る恐るではあるが、クウヤの舌に触れた。
 クウヤが舌先を引っ込めると、追いかけるように舌が伸びてくる。自然と舌が縺れ、絡み合う。
 熱い。他人の粘膜とは、こんなにも熱いものだっただろうか。学生時代に恋人がいたきりで、それ以降は研究と仕事に没頭していたせいで、そんなことすら思い出せない。
 ただ、熱い。シグの熱が、二人の唾液でぬかるんだ口の中が、ひどく熱くて、気持ちがいい。

「……そう、上手……お前、飲み込み早、い……んっ……」

 息継ぎの間、唇が離れたのをいいことに軽口を叩くと、言葉尻を食らうようにシグの唇が重なった。
 きっと、キスだって初めてだろう。その相手が自分だと思うと、いいのだろうかと言う不安とともに、言いようのない喜びにぞわぞわと背筋が震えた。
 これは刷り込みだ、と頭の隅で自分が叫ぶ。ギフテッドの脳内に睡眠学習によってインストールされた最善判断回路と呼ばれる思考回路が、クウヤを護衛対象として判断し、そして彼自身がその「重要」の意味合いを見誤っているだけだと、声を張り上げる。
 それでも、離れられなかった。手は自然と縋るように彼の分厚い胸板にしがみつき、パジャマの表面にしわを作る。

「マスター、マスター……」

 ◆

「あっ」

 中途半端に下げていた下着を、大きな手が脱がしていく。するすると足から抜けていくそれにどことなく心細さを感じていると、なにも覆うもののなくなったクウヤの尻のラインを確かめるように、つう、と手の甲が撫でていった。

「……マスター」

 背後から体重をかけたシグの声が、耳に吹き込まれる。
 耳が溶けて落ちそうなほどに熱い。羞恥に思わずぎゅう、と枕を握りしめると、それを見ていたシグがふ、と息を吐いた。
 枕のすぐ横に、シグの左手が差し出される。おずおずとそこに手を重ね、指の間に自らの指を差し込むと、肩口でシグが囁いた。

「そのまま、握っていて下さい」

 痩せた尻の谷間を、手が滑る。びくりと体を震わせると、クウヤの先走りを絡めた指が、宥めるように後孔をひと撫でした。

「んっ……」

 誰にも触られたことのない箇所に触れられ、体が勝手に強張ってしまう。すりすりと根気強くそこを撫でながら、シグがのしかかったままクウヤの顔を覗き込んだ。

「マスター、……同性との経験は?」
「……ない。悪いな、面倒くさくて……」
「いえ、そんなことは……思ってません、よ」

 つぷり、と指が――それもほんの先だけが、めり込むように内側へと入った。
 第一関節くらいまでしか入っていないだろう指を、ゆっくりとシグが奥へ向かって動かす。ぬぐ、ぬぐ、と中の襞をかき分けるように指を進めながら、シグがマスター、とクウヤを呼んだ。

「息を」
「ひ、う、はぁっ……」

 言われるまで、呼吸を忘れていたことすら分からなかった。深呼吸になるよう意識して息を吐くと、その隙を狙ったように指が増えた。

「う、く、んんっ……」

 痛みよりも、異物感が勝った。