étincelle

 会員制クラブ「プライベート・ブラッド」は吸血鬼に会うことの出来るクラブである。
 その全てが吸血鬼な訳ではない。ギャルソンや下男などは普通の、いわゆる人間である。だが、会員へ接客をし、酒を酌み交わすのは吸血鬼であった。
 ロジェは、パリにあるSang Privé――「プライベート・ブラッド」を取り仕切る少年である。
 人間と吸血鬼をあわせた全従業員の管理から、店舗の保全、そして客の選別。その全てがロジェの仕事であり、存在している理由であると言っても過言ではない。
 ロジェは、金髪碧眼のただの少年である。少なくとも、見た目の上では。
 そのロジェの書斎、雑然とした大人用の大きな書斎机の、対になっているやはり大ぶりの椅子に、少年の膝が乗っていた。ロジェのものではない。この部屋には腰かけているロジェの足の間に膝を突いている、もう一人少年がいるのだ。

「ねぇ、ロジェ。遊んでよ」

 十代後半の、見た目で言えばロジェよりも幾つか上にあたる、美しい少年が囁いた。
 濃い茶の髪をうなじの辺りで切り揃えた、文句のない美少年であった。ロジェを資産家の快活な子息とたとえるならば、少年は路地裏で夜を売っているような、危なげな美しさを備え持っていた。
 少年が体重をかけているのか、腕のいい職人が作った椅子がぎ、と小さく音を立てる。

「断る。どけ、仕事中なのが見えないのか?――カミーユ」

 少年――カミーユは、ロジェがとん、と腕で胸元の辺りを押すと、呆気ないくらいにあっさりと離れていった。だが、なにがおかしいのか、亜麻色の瞳は楽しそうに歪んでいる。
 カミーユは、年若く見えるが、クラブの「夜」の仕事を請け負っている少年でもあった。要は、多額の「援助」をして下さっている上客に対し、性的なサービスを行っているのである。夜を売っていると言う比喩は、あながち嘘でもないのだ。
 だからか、カミーユには年不相応な色香があった。決してバラや百合のように目立って人目を惹く訳ではないが、近くに寄った者だけが分かるような芳しい香りを放って、人を引き寄せる。

「クラブの従業員同士の恋愛、それに準ずる行為は御法度だと言ったはずだ」

 カミーユがギャルソンを引っかけて「遊んで」いることくらい、ロジェが知らないはずはない。つとめて冷たく言い放つと、しかしカミーユは響いた風もなく、ふぅんと気のない相槌を打った。

「でもそれ、パリここだけって聞いたけど。ロンドンのロジャーは顔と気立てのいい吸血鬼の機嫌を保つためにあの手この手――」
「あいつの話はするな、気分が悪くなる」

 カミーユの話を遮って、ロジェは重い息を吐いた。
 クラブは世界の各地にあり、その各店舗の管理は全て「Roger」と名のつく少年が行っている。ロジェもその一人であり、意識が芽生えた時からこのクラブにいたので他の国などには行ったことがなかったが、手紙でやり取りをしている限り、ロンドンのロジャーとは気が合わない。考え方が好ましくないのだ。
 ロジェは吸血鬼の幸福を第一として考えている。客として来る人間の利点など二の次だ。吸血鬼にとって相性のいい人間が見つかれば、その契約を進めてやりたいと思うし、クラブから去った後も出来うる限り幸福でいて欲しいと毎日願っている。
 しかし、ロンドンのロジャーはそうではないらしい。客と売り上げのことばかりにかまけていて、吸血鬼はあくまで商売道具だと考えているようであった。吐き気がする。

「……とにかく、だ。ウチはウチだ。いい加減にふらふらするのはよせ、カミーユ」
「いつか出会う契約者のために? 『生きながら死に、死にながら生きているお前たちに、息を吹き込んでくれる誰かが現れる』まで、って?」

 ロジェが吸血鬼たちにしつこく言っている言葉をそらんじて、カミーユはうっそりと笑った。人を虜にする、悪い微笑みであった。
 だが、それを見てもロジェはなんとも思わない。せいぜい考えることと言えば、こんなところで油を売っていないでフロアに降りて接客をしろ、ということくらいだ。

「……お前、吸血鬼にまで手を出したら流石にただじゃ済まないからね」
「わぁ、怖い。なにをしてくれるの、ロジェ?」

 離れていたカミーユが、顔を寄せてくすくすと笑う。それをしかめ面で一瞥して、ロジェは机に広げた書類に視線を戻した。
 それこそ、遊んでやっている場合ではないのだ。細々とした仕事は常に山のように積まれていて、こうして夜の、吸血鬼たちが接客をしている間に片付けてしまいたいのだ。

「……お前たちにとって考えるもおぞましいことをしてやるよ」
「それってなんだか素敵じゃない? ぞくぞくする」

 ちらりと顔を見れば、カミーユはうっとりとした顔をしていた。愚かなことに、本当に素敵だと思っているらしい。

「素敵な訳あるか。……お前、本当にフロアに降りなさい」
「もう少ししたら、ね」

 返しながら、インクを吸わせたペンを羊皮紙に走らせる。書類仕事をしていることのなにが面白いのか、カミーユはしばらく、ロジェの隣に立っていた。

(エタンセル / 火花)