触れて、確かめて

 滑らかに移動するオート・タクシーの車内で、私は気づけば溜め息を吐いていた。
 溜め息を吐くのも何度目になるだろうか。三度目までは数えていたのだけど、それ以上になってからは数えることを諦めていた。
 ポケットの中でモバイルが振動する。取り出し、ディスプレイをタップすると、「ホテルのロビーでお待ちしております。フィオーレ・ファーマシー店員より」と書かれたメッセージを受信していた。

「『分かりました』……いや、えっと……」

 ホログラフィック・キーボードの削除キーを押して、メッセージを打ち直す。予約時のIDとパスを教えるから、それを私の名前をフロントの人型ロボットドールに伝えて、部屋に入っているように。そんなメッセージを送信して、また私は幾度目かの重たい息を吐いた。
 モバイルの脇に放った手が、膝の上で僅かだが震えている。緊張しているのだ。
 ちら、と窓の外を見ると、オート・タクシーは既にホテルの敷地内に入っていた。予想より、少し早い。

『ホテル・スペルドーサに到着いたしました。ご利用ありがとうございました』

 車内前方から聞こえてきたAIの合成音声に押されるように、車を降りる。ロビーをくぐったところで、再びモバイルが振動した。「3206号室でお待ちしております」。
 フロントを通りすぎて、エレベーターを呼ぶ。数秒のうちに到着した箱に乗り込み、「32」と記されたパネルを押して、私は揃えた人差し指と中指を、逆側の手首に当てた。脈が速い。ああもう、いよいよもって緊張している。
 32階に着く頃には、私の緊張は耐えがたいほどまでに高まっていた。部屋に行かずに帰ろうかな、と思ったのも一度じゃない。
 「3206」のプレートが下がった部屋の前に立つ。ドア横のパネルに手のひらをかざすと、申し込みの時に使っていたIDと掌紋が紐づけされていたのだろう、ドアはあっさりとアンロックされた。

「……おじゃまします」

 他人の家ではないのにそう言ってしまったのは、ドアの前ににこにこと笑う女性が立っていたからだろう。
 明るいブラウンの、ゆるいウェーブのかかったロングヘア。紫がかった青色のぱっちりとした瞳。見た感じ、年齢は二十歳前後くらい。顔立ちは、どちらかと言えば綺麗と言うよりも可愛い部類だろう。襟付きの、ネイビーのパイピングがされた清楚な白のワンピースを着ていた。

「こんばんは! ……お客さん、お仕事上がりですかぁ?」

 私の後ろで、慣性に従って静かにドアが閉まる。グレーのジャケットにブラックジーンズの格好は、彼女からは「デート」や「お出かけ」のそれに見えなかったのだろう。確かに仕事上がりだし、服には頓着しない方だけど、少しだけ心がちくりと痛んだ。

「うん、そう。それから、イリナでいいよ。……カンパニュラ」

 サイトの紹介文に書かれていた名前を呼ぶと、彼女――カンパニュラはぱっと表情を明るくさせた。

「わぁ、名前覚えてくれたんですね、嬉しい! そうだ、お茶でも飲みます? お客さ……イリナがいいホテル取ってくれたから、好きなお茶飲めますよ」
「……いいホテルかな?」
「モーテルじゃなくて普通のホテル取る人、いるにはいますけどちょっと珍しいです」

 あけすけとした物言いに言葉が詰まる。テーブルに並んだティーバッグを楽しそうに選んでいた彼女が、こちらを見てにっこりと笑った。

「モーテルだってまぁ普通に色々揃ってるんで困らないですけどねー。でも、こういうホテルの方がやっぱり気分上がるって言うか。なに飲みます?」
「……紅茶ならなんでも」
「じゃ、甘いやつにしますね。私もそれにしよっと」

 備え付けのポットから二人分のカップに湯を注ぐと、カンパニュラは片方のカップを差し出してきた。受け取って、ふうふうと冷ましながら飲む。彼女の言った通り、香料と甘味料の利いた甘いストロベリー・ティーだった。

「ここのホテルの『スペルドーサ』って、旧スウェーデンの言葉でオルゴールって意味らしいですよ。それでほら、テーブルの上にオルゴールが」

 爪先を淡いピンクに塗った指が示したところには、確かに古めかしいオルゴールが飾られていた。予約した時は「職場から離れた、そこそこのグレードのホテル」としか認識していなかったのだけど、どうやら細かいところまで気を配るホテルらしい。

「彼女さんにもこうやって素敵なところに連れて行ってあげてるんですかー?」
「いや。……えっと」

 他愛のない世間話のつもりだったのだろう、そんなことを言った彼女を手で制して、私はぼそぼそと続けた。

「……彼女はいたことない」
「それじゃ、バージンですか?」
「……それも違う。彼氏はいたことあったから」
「ふーん」

 立ったまま紅茶を飲んでいた私を、カンパニュラは手でベッドの縁に座るように誘った。促されるまま座ると、隣に座った彼女が、両手でくるんだカップから紅茶を一口飲んで、それじゃあ、と続けた。

「女の子は私が初めてなんですね、イリナ。男の人だと『違う』感じがして、それで私を指名した?」
「……当たり」

 なるほどー、と頷いて、カンパニュラが私の手に触れた。カップに触れていたから、手がぽかぽかと温かい。
 彼女――カンパニュラは、「フィオーレ・ファーマシー」と言ういささか趣味の悪い名前の風俗店に勤めている、店のサイトが嘘を言っていないのであれば、ギフテッドの女性だ。
 ヒトに造られた、普通のヒトよりも優れているヒト。人造人間。人間が地球を捨ててこの星、エリダヌス座のラーン星系にある惑星「ジズレ」に住むようになったタイミングで開発された、遺伝子操作された新しい種類の人間。それがギフテッドだ。
 普通のギフテッドは、護衛や軍用、家庭用など、様々な用途で売買やレンタルがされているが、性的な用途でのそれは法律で禁止されている。それでも法の編み目をかいくぐって、セクシャルなサービスをするギフテッドがいる店というのは存在する。噂では、色々な理由で各用途から「契約破棄」をされたはぐれギフテッドがそういった仕事に就いていると言われていたが、彼女がそうであるかは分からなかったし、興味もなかった。
 私が幾つかのサーチエンジンを踏み台にしながら風俗店を調べ、彼女を指名したのは、ただ試してみたかったからだ。
 カンパニュラに言った通り、彼氏がいたこともあるし、セックスだってしたことがある。それでも、そう、彼女の言葉を借りるのならば、「違う」気がしたのだ。
 どの男性の恋人とのセックスも、私は楽しさや気持ちよさを感じたことがなかった。「それ」はお付き合いの義務のようなものだと割り切っていたのだが、ふと、もしかして私は相手を間違えているのではないだろうか、という考えに至ったのだ。
 相手――性別を変えてみたら、もしかしたら私もその行為のメリットを感じられるかもしれない。そう思って、「ヘテロ以外もOK」と書かれていた彼女を指名したのである。
 実際のカンパニュラは、写真の通りに愛らしい女の子だった。少し間延びした声も女の子らしい高い声で、私のハスキーな声とも、男の人のがっしりとした低いものとも違う。マニキュアの塗られた手も、これまで触れた恋人のそれより、うんと細くてやわらかい。
 重ねられていた手が動いて、私の手からカップを奪って、ベッド脇のサイドテーブルへと置いた。あまりにも自然な仕草で、手の中のカップが消えていると気づいたのは、私の唇に彼女がキスをしてからだった。

「……どうですか? 嫌な感じします?」
「あんまり……まだ、よく分かんない……」
「それじゃあ、分かるまでします。続けますね」

 ちゅ、ちゅ、とリップ音を立てながら、カンパニュラが私にキスをしている。ルージュを塗った形のいい唇が私のそれに触れ、だがそれ以上はしてこなかった。それに焦れて、唇が離れていく瞬間に追いかけてキスをする。瞬きの間に見えた青紫の瞳が、少し嬉しそうな色をした、ように見えた。
 細く薄い肩に手を置いて、抱き寄せる。唇の隙間から舌を差し入れると、キスの合間の息継ぎの際に、ふふ、とカンパニュラが笑った。

「嫌ではなさそうですねー」
「……そうみたい」
「じゃあ、もっと色んなことしましょう。ジャケット、皺になるといけないんで、脱いで下さい」

 そう言いながら、彼女は自分のワンピースの襟元を飾るリボンに手をかけた。その手首へ手を伸ばす。やんわりと手を剥がすと、あはは、と笑いが弾けた。

「私が脱がせてもいいかな」
「いいですよ。いい感じです、イリナ」

 くすくすと楽しげに笑う唇にキスを落とす。そうして私は、カンパニュラと「色んなこと」を試すのであった。

 ◆

「どうでしたかぁ? 楽しかったですかー?」
「……うん」

 少なくとも、嫌な感じも、義務感も感じなかった。どことなく気恥ずかしさを感じながら頷くと、ベッドに寝転がっていたカンパニュラが、私に両手を差し出してきた。
 飲んでいた水の入ったボトルを渡すと、カンパニュラは枕に押しつけていた頬を膨らませて、もう、と言った。

「違いますよイリナ、今のは『抱っこして』です」
「……ごめん」

 カンパニュラがボトルをサイドテーブルに置く。ベッドに入る前に彼女が置いたカップと並んでいるのが、なんだか変な感じだった。
 ベッドの縁に膝をついて、寝転がる彼女へ両腕を回して、抱き締める。近くなった私の頬にキスをして、カンパニュラはふふ、と笑みを浮かべた。

「それじゃあ、気持ちよかったですかぁ? 見てた感じ、私よりもイ……」
「言わないで、恥ずかしい!」

 手で口を塞ぐと、手のひらの内側で唇が動く感触がした。なんだかぞわぞわとするように感じるのは、いわゆる「事後」ってやつだからだろうか。

「じゃあ、気持ちよくなかった?」
「……気持ちよかったよ」

 くぐもった声に早口で返す。手を離すと、カンパニュラは唇の端を持ち上げてにんまりと笑っていた。

「それはよかった! やっぱりイリナ、女の子の方がいいかもですね」
「そうみたい」
「分かってよかったですね。私もなんか嬉しいです」

 よっと、と言って、彼女が弾みをつけて起き上がった。その辺に放った下着を探しているのだろう、白くて丸いヒップを惜しげもなく向けられる。

「……カンパニュラ」

 「フィオーレ・ファーマシー」のサイトに掲載されていた男女は、皆一様に花の名を冠していた。だからきっと、この名前も偽名だ。
 その偽名に、彼女は「はぁい」と間延びした返事をした。手が動いて、ブラジャーの金具をつけている。その手に自らの手を滑り込ませて、後ろからハグをすると、カンパニュラは私に身を預けるように体から力を抜いた。心配したくなるような無防備さだった。

「この後、予定は?」
「ないですよー。日付が変わるまでここにいたら、お店に戻ります」
「じゃあ、延長して。……朝まで」

 肩にもたれかかった顔が、少しだけ驚いた表情を作った。ぱちぱち、とキキョウカンパニュラの色をした瞳が瞬きする。

「朝までここに一人でいるのが嫌なの。……その、よかったらだけど」
「もー、可愛いっ!」
「わっ」

 顎と首の境目辺りにキスをしてからそう言って、カンパニュラは私に飛びついてきた。
 突然のことに、かけられた体重のまま、私もカンパニュラも、ベッドに沈み込む。どさりと倒れ込んだ私に頬ずりしながら、カンパニュラはいかにも楽しげに続けた。

「イリナみたいな人、好きですよ。後で連絡先教えるんで、絶対にまた呼んで下さい」
「……分かった」

 下着姿で密着されると、どうしても先ほどまでのことを思い出してどきどきしてしまう。その鼓動が伝わったのか、カンパニュラは顔だけ持ち上げて、「もっかいします?」と笑った。
 落ち着いてからオルゴールを触りたいと思っていたのに、カンパニュラが私の足の間に膝を割り込ませて、膝ですりすりと素肌の太腿を擦ってくるので、なにも考えられなくなった。
 オルゴールのことはまた後ででいいや。なんだったら、もう一度彼女を「呼んだ」時も、このホテルを使えばいい。そんなことを思いながら、私は着けたばかりだったカンパニュラのブラジャーの金具に手を伸ばすのであった。