イン・ザ・ガーデン

 春がすぎて、初夏にさしかかった頃のことである。

「君には大変世話になったからね」

 長く息を吐いて、男はゆっくりと居間のカウチから立ち上がった。

「特別に私のコレクションをお見せしよう」

 悠然と言って、男は私を屋敷の入り組んだ廊下の先にある大きな部屋へと誘った。
 男はこの街の資産家であった。一代で財をなした男は、年を取り、心臓を患ってからは、仕事の量を減らして屋敷でのんびりと余生をすごしていた。
 私は町医者である。数年前、大きな路地で彼が胸の痛みからうずくまっているのを助けて以来、私は彼の主治医をしていた。
 もう長くないと思っているのか、数日前から男は自分の相続の手続きを始めた。遺言書を作り、財産を整理し、そうしてそれらが落ち着いた頃に私を呼んで、先ほどのように言ったのである。
 持病のある男の足では、自分の根城である書斎から突き当たりにある例の部屋まで行くのも時間がかかる。時折よろめく体を支えながら、私は一体どんなコレクションがあるのだろう、と想像の翼を広げた。
 絵画や彫刻などの美術品。はたまた、物珍しい動物でも飼っているのか。
 さまざまな予想を立ててみたものの、実際のところ、それらの予想は全て的外れなものであった。

「さぁ、着いたよ。ここが私の『ガーデン』だ」

 そう言って、男が装飾の施されたドアの取っ手を引く。
 むせ返るような花の香りと、目が眩むような白が、まず私を出迎えた。
 部屋は大きな客間のようなところであった。優に三人は横になれそうな天蓋つきのベッド、それからソファーとテーブルが置かれている。庭から日光が射し込む大きな窓はレースのカーテンで覆われていたが、それでも明かりは取り込んでいるのだろう、壁や天井が白いのも相まって、全体的にぼんやりと明るい部屋であった。
 ガーデンと男が呼ぶものだから、てっきり温室かなにかに繋がっているのかと思ったが、そうではなかった。確かに至るところを花瓶で華やかに飾っていたが、あくまでここは室内だ。
 だが、品のよい装飾や、白を基調とした清潔感のある部屋のセンスのよさよりも、真っ先に感じた異質さに、私は言葉を失っていた。
 部屋は無人ではなかった。十人弱ほどの少年少女が、ベッドに寝転がり、ソファーに腰かけ、思い思いにすごしていたのである。
 リネンだろうか、薄い布地のワンピースやシャツを着ている者が半分、残りの半分は、夜会に出られそうなドレスや生まれのよい子女が通う寄宿舎の制服のようなものなど、様々な服で着飾られていた。
 その彼らの視線が見知らぬ訪問者である私に一瞬注がれたかと思うと、不意にほどけ、彼らは私から興味を失ったかのように顔を背けた。
 男は妻帯しておらず、養子を取った話も今まで聞いたことがなかった。では彼らは誰なのだ、と思っていると、男はにっこりと私に微笑んだ。

「どうだ、見事だろう。君の好みの者はいたかね」

 問いかけられて、背に冷や汗が伝った。
 そうか、これは彼のハーレムなのだ。恐らくだが、その日の気分によって、少年少女たちの中から「相手」を選び、遊んでいるに違いない。

「君」

 仕事に生きてきた真面目な男とばかり思っていたが、こんなハーレムを作るような趣味があったとは――。言葉もなく立ち尽くした私を意に介す様子もなく、男は一人の子供に声をかけたようであった。
 十四ほどの金髪の少女であった。シンプルなワンピースを着た彼女は、返事こそないものの、男の方へと視線をやった。

「ベッドにいる彼女と『遊んで』みせなさい」

 言葉に、やはり返答はない。だが彼女は、ベッドに近づくと、そこへ寝転んでいた、少女と同じようなワンピースを着た十六ほどの赤毛の少女の肩へそっと手を置くなり、彼女に口づけた。
 唇を重ね、舌を絡ませ、自分のそれよりも膨らんだ乳房を揉みしだく。同性間で行われているという前置きこそあれ、それは紛うことなく性交であった。

「……ご主人、これは……」

 言葉を震わせる私に、男はふふ、と穏やかに笑んだ。

「だから言っただろう、君。ここは『ガーデン』――私の花園だ」

 少女たちが睦み合うのを眺めながら、男はこう説明した。
 娼婦や男娼崩れの者たちや身寄りのない子を拾ってきて、男はこの部屋を作ったそうだ。年の頃は十二から十七くらいの少年少女たちを、その日の気分によって様々な方法で可愛がっては、こうして眺めているのだと言う。
 目の保養にしていると言うだけあって、少年も少女も、皆美しく、愛らしい顔をしていた。地味ではあるが造作の整った子もいれば、社交場に立てばさぞ人目を引くであろうと思わせる華やかな顔立ちの子まで。金髪やブルネット、赤毛の子、この国の子から国籍が異なるであろう子まで、様々な子が揃っていた。
 普通――否、普通と言うのもおかしいのだが、こうして若い年頃の者を集めたのならば、その者たちに直接手を出し、肉欲の捌け口としそうなものである。
 私がそう尋ねると、男は愉快そうに笑った。

「私はそういった野蛮なことはしないんだ」

 そう、男は狂っていた。そうではない「可愛がり方」をして、自らの歪んだ欲望を慰めていたのである。
 そして、今度は私に違う「遊び」を見せた。
 ぴちゃぴちゃと水音を立てて胸を吸っている少女たちを無視して別の少年を呼ぶと、男は自分の服のポケットから瓶を取り出し、その中に入っていた薬剤を一粒、少年の手のひらへ載せた。それは彼の胸痛を抑えるために私が処方した、健康な者にとっては軽微な毒となり得る薬であった。
 少年はテーブルに置かれていた水差しからゴブレットに水を注ぐと、錠剤を飲み干した。しばらくはなにも起きなかったが、数分後ソファーに腰かけようとしたその時、彼は胸を押さえて小さく呻き声を上げながら、その場にうずくまった。
 思わず助けに入ろうと駆け寄ろうとした私を、男はそっと手で制した。

「もう何度もやっているが、死ぬほどの量ではないだろう?」

 そんな、と思ったが、場の異様な雰囲気から反論することが出来ぬまま、私は呆然と少年が悶絶するのを見ていることしか出来なかった。
 少年のいかにも苦しそうな声の後ろで、か細い少女の喘ぎ声と吐息が聞こえる。私は、自分の中から少しずつ正常なものを判断する力が失われてゆくのを、ぼんやりと感じていた。
 発作が治まり、ぜえぜえと荒い息を吐く少年から視線を移して、男は何事もなかったかのように説明を続けた。

「好みではなくてね、切り刻むことはしていないんだが、時たま軽く鞭で打つと、またいいんだ。悲鳴もいいし、白い肌にみみず腫れが浮かび上がるのも美しいものだよ」

 まるで「この品種の花もこの季節に咲いて美しいよ」とでも言うような口調だ。そう思って、私ははっとした。
 少年少女は男にとって庭を飾る花にすぎぬのであろう。だから男はこの部屋のことを「ガーデン」と呼ぶのだ。

「使用人もここのことを知っているが、部屋には掃除の時にしか入れてなくてね。こうして案内したのは君が初めてだ」

 絶頂したのか、ベッドで年上の少女の足がびくりと跳ねる。それすら花がそよぐようにしか感じていないのか、男は目を細めてしばらく少女の方を見た後、私の方へと振り返り、静かに続けた。

「君には折り入って頼みがある」

 ◆

 数年して、男は亡くなった。心臓の病によるものであった。
 葬儀を行ったのち、遺言書の内容が発表された。「自分には妻も跡を継ぐ者もいない。親切にしてくれた主治医に財産の数割と屋敷の権利を譲り渡す」と言ったものであった。
 事前に男に直接伝えられていたその遺言を、私はどこか遠くに聞いていた。
 財産はさておくとして、ここで言う「屋敷の権利」とは、言葉以上の意味を持っていた。
 ただ建物の権利を譲る訳ではない。彼は例の部屋を任せると、そう私に言ったのである。
 葬儀からしばらくがすぎて、私は屋敷へと訪れた。生前彼が言い含めていたらしく、数こそ減っているものの、数人の使用人が私を「新しい主人」として迎えてくれた。

「……あの部屋の鍵を」

 重い口調で私がそう言うと、メイドの女は、目を伏せて鍵を手渡した。
 女は言葉少なに、男が亡くなってからの彼らのことを教えてくれた。
 食事や着替えは掃除の際に差し入れていたこと。バスは部屋に備え付けてあるから、身の回りのことには困っていないであろうこと。
 彼らをどうするのか、とは女は問うてこなかった。ただ、探るような視線が、部屋に向かう私の背に突き刺さっていた。
 長い廊下を何度か曲がり、突き当たった部屋のドアに鍵を差し込む。ガチャリと重い音を立てて開いたドアを、私は思い切って大きく開いた。
 窓は換気のために細くしか開かない造りとなっていたため、こうして外気が入ってくるのも珍しいことだろう。見開かれたいくつもの目が私を見たが、しかし、開け放たれた外へ出ようとする者は一人とていなかった。
 驚きこそすれ、どの少年もどの少女も、その場から動くことはなかった。まるでそこが自分が根を張った居場所であるかのように、微動だにしなかった。
 部屋に入り、一人の少女に近づく。私の記憶違いでなければ、この「ガーデン」を案内されたあの日、年上の少女に迫っていた子であった。
 手を伸ばし、頬に触れる。そうしても、彼女は反応を見せなかった。
 そう言えば、あの日も今日も、この部屋の誰かが話すところを一度も見たことがなかった。話すなと言われているのか、それとも事情があって話せない子ばかりを集めたのかは分からないが、頬に触れた手にすり寄ることもなく、彼女は無言のまま、ひたと私を見上げていた。

「……君たちは……」

 出ていきたくないのか。金の工面なら男の遺産で私がどうとでもしてやる。喉から出かかったそれらの言葉は舌の上で縺れ、再び喉の奥へと消えていった。
 男はしがない町医者にすぎない私にとてもよくしてくれた。その男の遺志を継ぐことこそ、恩返しになるのではないだろうか?
 ――いや、違う。そんなことは言い訳にすぎない。
 見たのはあの時の一度きりであると言うのに、あれ以来、あの日のことは繰り返し瞼の裏に蘇っては私を悩ませていた。
 忘れることなど、出来るはずがなかった。忘れてしまうには、あまりにも気味が悪く、おぞましく、そして――美しい光景であったのだ。
 私はもう、このガーデンに魅入られていた。
 見目麗しい少年少女たちが住まうここは、まさに閉じた花園だ。そこいる子供を解放することは、整えられた花壇から花を手折ることと同義であるように思えたのである。
 頬から手を離す。少女は、なにも映していないような眼で私を見ていた。
 踵を返し、開け放っていた扉を閉じる。中から施錠すると、私は振り返り、目についた少年にこう告げた。

「ソファーにいる少年と交わってみせてくれ」