てのひらのエデン (R-18)

 広い空間の中央に、金属で出来た無機質なシートが据えられている。
 全身を預けられるシートには、様々な形状のケーブルが繋がれている。
 シートだけではない。そこに座る者にも体のいたるところに電極が貼られ、どんな様子も漏らさぬようにモニタリングされていた。
 そのモニタリングしている計器の全てが、アラートを出していた。
 警報音とともに、機器のAIが平坦な声で繰り返し告げる。

『テスト体、生体反応ゼロ。繰り返します。テスト体、生体反応ゼロ――』
「どうします」

 自分とともにアラートを聞き、そして実際に計器類から実際にそれを確認した同僚の研究員が、モニターから顔を上げて問いかけた。
 は、と勝手に漏れ出たのは溜め息だ。
 モニターを何度見たって状態は変わらない。シートに磔にされた小さな体は、アラートが出る直前に大きく痙攣したきりで、目視でもモニター上でも動いた様子は見受けられなかった。

「医療スタッフは呼ばなくていい。もう無理だろ」
「では……」
「プラントへ連絡して、スペアのボディを用意。新しいボディへのインストールと調整は俺がやる。サルベージ後、遺体は解析班に回せ」
「……はい」

 頷いて、年若の同僚は僅かに震える声で、広い空間――実験室を目の前でモニタリングしている研究室全体に聞こえる声量で、こう言った。

「テスト体『エクレチカ』、生体反応ゼロ。これより脳からのサルベージに入ります」

 ああ、まただ。
 そう、「また」だ。これで四度目になるだろうか。
 研究室内の視線は二種類に分けられた。
 一つは、たった今生命が失われたギフテッドを見るもの。研究室へ配属されてから、まだその「死」を目の当たりにしたことがなかった者なんかはそちらである。
 そしてもう一つは、自分を見つめるものだった。研究室前方のメインモニター前に陣取った自らの背中に、無遠慮な視線が突き刺さっている。
 大方、「一緒に生活しているギフテッドが死んだのにその反応か」とでも思っているのだろう。

(それで気が済むんなら勝手に睨んでてくれ)

 心中で吐き捨てながら、モニターから視線を一瞬視線を外し、「プロジェクト・エクレチカ」の主幹研究員アルブレヒト・アルバネストは再び嘆息した。
 脳からの記録と記憶のサルベージに、新しいボディへの移行。それから、テスト体ギフテッドを実験で失ったことに関するレポートを政府の倫理委員会に提出しなければまずいだろう。
 やれやれ、面倒くさい。
 モニターではなく、ガラス越しの実験室へ視線をくれる。
 シートに横たわり、動かなくなったギフテッドには大きなヘッドギアが被さっているせいで、末期の表情も分からなかった。
 否、顔のモニタリングをしているカメラがあるから、その気があれば見られるだろう。だが、アルブレヒトにはそんな気はなかった。
 見たくないのではない。見ても意味がないからだ。
 見たところで今目の前で死んでいるギフテッド――エクレチカ・レチカが息を吹き返す訳でもない。

「サルベージは順調みたいだな。サルベージが終わって新しいボディが来たら、みんなは帰ってくれ」

 切り替えるように長い瞬きをしたのち、アルブレヒトはわざと大きく声を発した。すると、いつまでも見ている場合ではないと気づいたのか、エクレチカやアルブレヒトを見ていた視線がばらけて、各々の持ち場へ戻っていく。

(まったく――)

 自分とエクレチカだけで実験が出来ればいいのに。
 少しずつ進んでいくサルベージの進捗グラフを一瞥して、アルブレヒトは三度息を吐いた。
 本当に、面倒くさい。

 ◆

「それでは、失礼いたします」
 三日後、連合政府主星ジズレの首都セントラル・エリダヌスの中心部、立ち並ぶ官庁の一つ――「保健衛生福祉省」の会議室から追い出されるようにして退室したアルブレヒトは、思わず大きく息を吐いていた。
 三日前から溜め息を吐き続けている気がする。

「お疲れ様」

 声変わりをしたばかりの、少し高い少年の声がする。
 顔を上げると、廊下に設置されていた長椅子に腰かけていた少年が、すっくと立ち上がってアルブレヒトに手を振っていた。
 少年――エクレチカ・レチカ。三日前にアルブレヒトたち研究員が実験で生命を奪ったギフテッドが、にこにこと笑ってアルブレヒトを見ていた。
 あの後、脳からの記録と記憶のサルベージも、新しいボディへのそれらのインストールも、つつがなく終わった。まるであの実験などなかったかのように、少年ギフテッドは変わらぬ様子で笑っている。

「倫理委員会にこってり絞られたって顔してるね、アル」

 アルブレヒトを愛称で呼んで、エクレチカはくるりとターンした。

「終わったんだよね? 帰ろっか」
「……ああ」

 エレベーターで一階まで下り、庁舎を出る。本日のセントラルの気候は曇りのち晴れ。約二時間前に到着した時はまだ雲が多かった空は、夏の終わりらしい青々とした色に変わっていた。
 政府に呼ばれたのもあって、エクレチカも自分も今日はかっちりとしたジャケットにスラックス姿だった。いくら夏物の素材とは言え、いささか暑い。建物を出るなりジャケットを脱ぐと、それを見ていたエクレチカがまぶしそうに目を細めた。
 二十世紀頃の地球の環境を模してテラ・フォーミングされたジズレ本土は、付属するコロニーと異なり、一部のドーム型都市以外は大きな天候の調整を行っていない。西暦の終わり頃、環境の変化によって四季の変化が乏しくなった地球とは違い、ジズレでは鮮やかな四季が蘇っている。
 つまり、オート・タクシーをさっさと拾わなければ汗をかくだけだ。幸いすぐ近くに停車していたタクシーを捕まえると、アルブレヒトはドア近くの認証パネルに掌をかざしながら、後ろにいるはずのエクレチカを振り返った。

「レチカ?」

 エクレチカは、タクシーの数歩手前のところで、両目を片手で覆っていた。そんなに外がまぶしかったのか、と語尾を上げて名を呼ぶと、目の上に手をかざし、庇を作りながら、少年は開いたタクシーのドアへゆっくりと近づいてきた。

「ごめん。お待たせ」
「トリーア・ストリート八十二番地へ」
『かしこまりました。二十分ほどで到着する予定です』

 エクレチカの後を追って後部座席へ乗り込むと、アルブレヒトは前方のAIが搭載されているモニターへ声を発する。返ってきたAIの音声と同時になめらかに動き出したタクシーに、ようやくアルブレヒトは安堵の吐息を漏らす。それを隣で見ていたエクレチカが、小さく笑みを零した。

「ふふ。お疲れ様、アル。いっぱいお説教された?」
「そりゃあもう、胃もたれするぐらいにな。まったく、倫理委員会の連中の頭の固さときたら……」
「ま、それがあっちのお仕事みたいなところもあるし」
「それよりお前、さっきのは平気か? 視覚野か目に異常でも」

 問いかけると、小さな手がひらひらと舞った。手の向こうで、エクレチカが苦笑している。

「へーき。まだ体が外部刺激に慣れてなくってさ。こうなるといつも、一週間くらいは違和感がね」
「ああ……」

 なるほど、そう言うことか。
 サルベージで脳からこれまでの「経験」を掬い上げ、引き継ぐことは出来ても、体の方はそうはいかない。その差がもどかしいのだろう、エクレチカは捩らせるようにして小さな肩を竦めた。

「脳では『これはこう』って分かってるんだけどなぁ。不便って言うか不思議って言うか……」

 うぅん、とタクシーの中で腕を伸ばし、エクレチカは小さな体を背もたれに沈み込ませた。

「で、アル。これからどうするの? もうお昼すぎちゃってるけど、ご飯は?」
「ありがたい講釈を聞いてたお陰であんまり食欲ないんだよなぁ。……それより」

 続きを言う代わりに、小さな顎を取る。やわらかで小さな唇に己のそれを重ね、下唇に軽く歯を立てて顔を離すと、エクレチカは赤くなった唇を小さく動かした。

「もう、ほんとにアルって……」

 細い腕が首に巻きつく。リップ音を立ててアルブレヒトに口づけると、エクレチカは人差し指を立て、教師のようにこう言った。

「別にいいけど、タクシーの中では我慢してよね。あと、ボクこの体じゃまだ一回もしてないんだから、その辺ちゃんと考慮して」
「へーへー」
「もう、分かってんのかなぁ……」

 分かっているとも。誰がポッドの培養液から体を引き上げ、脳にこれまでの記録と記憶をインストールし直したと思っているのだ。
 裸のエクレチカ・レチカは、全ての情報のインストールが終わると、ゆっくりと瞼を開け、アルブレヒトに「ごめんね」と言った。

『ごめんね、アル。ボク、またやっちゃったんだね』

 まるで自分に起きたことを他人事のように口にしたエクレチカの横顔は、静かで、設定年齢である十代半ばには見えぬ大人びた色をしていた。
 人体が耐えられぬほどの情報量を脳に流し込み、ショック死させたのはアルブレヒトたち研究者だ。なのに、まるでエクレチカは自らのスペックが足りなかったから起きた、と言うような態度で、言うのだ。

『ごめんね』

 これ以上のスペックを求めるなんて、ギフテッドの研究開発がもっと進まない限り無理だ。エクレチカの体と脳には、それだけのものを設定している。

(まったく、罪悪感で胸が痛むじゃないか、レチカ)

 とは言え、そんなものがあったら、こんなにも可愛らしい見た目のギフテッドにあのような実験を強いたりしないだろうし、プロジェクトを任されたからと言って、実験内容が分かりきっているのに、その対象のギフテッドを自分の好みの外見をした少年に設定したりなどもしないのだろう。

(普通は、な)

 恐らく、アルブレヒト・アルバネストは普通ではないのだ。

 ◆

 自分よりもうんと小さな体は、いたるところに未発達の部分を残している。
 低くなりきるには時間のかかる声。それを出す、まだなだらかな喉仏。肌はすべらかで、指の腹で押すとやわらかく沈む。
 アルブレヒトは、この年頃の少年が好きだった。
 多分、自覚したのは大学の頃だろう。整った甘いマスクのお陰で彼女には困らなかったが、どの女性もどこか物足りなかった。なぜだろう、と考えて、ああ、求めているものが違うのだと思い至ったのだ。
 彼女たちには一度もそのことを言ったことはない。アルブレヒトは関係を持つ女性全てに敬意を払い、それなりに理想の恋人でいる努力はしたつもりである。
 実際、エクレチカに出会うまで少年を抱いたことはなかったが、その素肌の背に手を回し、抱き寄せただけで、これこそがアルブレヒトが「足りない」と感じていたものだと実感した。
 すっかり服を脱がされ、ベッドに横たわったエクレチカのやわらかな腹を撫で上げる。既にもう片手の指はローションをまとって彼の中へ侵入し、狭い内側を押し広げるために動いていた。

「あっ、あ、……っくぅ、ア、アル……」
「ん」

 そろそろ頃合いだろうか。
 指を引き抜き、勃起した性器を押し当てると、びく、と丸い尻が怯えるように強張った。よしよし、とシルエットをなぞるように撫でてから、足を開かせ、挿入する。
 エクレチカは細い喉を仰のかせ、ああ、と声を上げた。

「ちょ……っと、アル、はやい、って、ばぁ…………!」
「あ? まだ慣らさなきゃダメだったか?」

 言いながらも、ぬぐぬぐと腰を進める。少しずつだが狭く熱い内部へと飲み込まれていくさまに目を細めていると、エクレチカががば、と枕に押しつけていた頭を持ち上げた。

「だから、この体じゃ、初めてって、言ったの、にぃ……! く、るし……!」
「大丈夫、すぐ慣れるって」

 ずん、と打ちつけると、上げていた顔が仰け反って再び枕に沈む。ふかふかのそれを強く掴みながら、エクレチカは言い足りぬ様子で言葉を続けた。

「もう、体格差、考えて……よ、ねっ!」
「悪い悪い」
「ああもうっ、……う、……は……」

 本当に申し訳ないとは思っているが、腰が止まらないのだ。
 少年の直腸は狭く、「初めて」だからか、殊更にアルブレヒトのものを追い出そうときゅうきゅうと食い締めてくる。
 堪えがたい異物感と痛みで歪む顔を見せまいと枕に埋めるさまは、ひどく健気で、またそれが劣情を煽った。

「は、あ……っ、ボクだって……気持ちいい、はず、なのに……っ」
「……レチカ」
「あたま、……では、気持ちいいって、わかって、る、……のに、う、あぁっ」

 正常位で受け入れているエクレチカの細い足が、ぐ、と両脇からアルブレヒトの体を挟む。異物感からくる抵抗だと分かっていたが、まるで「もっと」と催促をされているようだった。
 うう、と呻きの混ざった喘ぎ声を漏らすエクレチカの小さい頭を撫でる。細くやわらかい髪の毛は、アルブレヒトの指をなすがままに受け入れている。
 まるで体の中みたいだ、と思って、つい笑みが零れた。髪も直腸もエクレチカのものなのだから当たり前だ。

「ん、あ……アル……」

 枕から顔を離し、エクレチカが覚束ない声でアルブレヒトを呼んだ。

「どうした」

 シーツに投げ出されていた手が、アルブレヒトの腕へ伸びる。救いを求めるような、縋るような仕草であった。

「……ボクって、最高?」

 浮かべていた笑みを、深くする。伸びてきた手を優しく掴み、年不相応に色っぽく濡れた唇を吸うと、アルブレヒトは形の整った小さな耳へ声を吹き込んだ。

「……お前はいつだって最高だよ、レチカ」
「ん……」

 囁くと、エクレチカは満足げに微笑んだ。
 エクレチカをデザインした際に設定した性格は、快活で朗らか、年頃らしい子供っぽさはありつつも、研究者には従順な少年――である。
 それなりに言うことを聞くような性格にはしたが、だが、そこまでだ。それ以上のこと――今行っているような行為を許すような細かい設定はしていない。
 つまり、体を許すほどの好意は、その後――彼が「生まれて」から形成された性格によるものだ。

(ああ、レチカ)

 エクレチカとの研究の範疇を超えた深い関係を察している同僚たちはいい顔をしなかったが、だが、アルブレヒトの一方的なものではないのだ。

(お前だって普通じゃないのさ)

 その事実が、ひどく愉快であった。
 腰を動かしながら、半ば萎えたエクレチカの性器に触れる。ゆるゆると手を動かすと、刺激にエクレチカは甘い声を上げた。
 エクレチカの手を握りながら、先ほどよりは多少彼を気遣いつつ内腔を穿つ。

「っは、……ほんと、世界にお前と二人だけならいいのに、な」

 腰に溜まる甘い感触をやりすごしながら語りかけると、エクレチカは訝しげな顔をした。

「変なアル……」

 呆れたように笑みながらも、エクレチカは否定しない。

「本当にお前は最高だよ」

 そのことにますます笑みを深くしながら、アルブレヒトは再び囁きを落とすのであった。

 ◆

 全身が、今日はどうか平穏無事にすごして下さいと訴えかけている。
 泣き言めいた痛みと倦怠感を無視して起き上がると、隣でひどく顔の整った男が眠っていた。
 ゆるいウェーブのかかった髪が、甘さのある顔の半分を隠している。
 瞼を閉じて眠っていても、アルブレヒト・アルバネストの端正な顔立ちは変わることがない。寧ろ、黙っている分強調されていると言っても過言ではないだろう。

「……アル」

 起こさぬよう小声で名を呼びながら、エクレチカ・レチカは髪をかき上げ、現れた額に唇を落とした。
 ゆうべの彼は変なことを言っていた。
 否、ゆうべも、と言うべきか。頭がよすぎるのも困りもので、時たま彼は、ギフテッドであるエクレチカですら考えもつかぬような思考回路で、不思議なことを言う。

(二人だけ、だなんて)

 既に今の状態がそれに近いのに、なんてことを言うのだろう。
 きっと彼のことだ、あの言葉だって普通の恋人同士が囁くような睦言の意味合いではなく、その方が様々な面倒事を回避出来て楽だ、くらいの意味だろう。
 エクレチカは、彼の手のひらの上で遊ぶ小鳥にすぎない。
 手のひらの中の小さな楽園で起きる事象は、彼にとっては全て予測のついているものだろう。エクレチカがなにを思おうとも、それすら彼の予想の範囲を抜け出すことは出来ない。
 それなのに、あんなことを言うなんて。今以上を望むだなんて――

「……ほんと、ろくでなし」

 だが、どうしようもなく愛おしかった。
 この尖った才を持つ男のそばに寄り添えるのは、自分くらいだ。そう思うと、彼の常識からいささか逸脱した人間性すら、愛おしく感じてしまうのだ。

「……ねぇ、アル。起きて」

 今度は頬にキスを落として、エクレチカはやわらかく囁く。

「早く起きて、ボクにキスをしてよ」